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BRASILIAN SKIES/MALIBU 高中正義keyboards : Patrice Rushen guitar : Masayoshi Takanaka, Lee Ritenor bass : Chuck Rainey drums : Ed Green percussion : Paulinho Da Costa BRASILIAN SKIES/高中正義¥2,037Amazon.co.jpAN INSATIABLE HIGH/高中正義¥2,037Amazon.co.jp
7月8日-Washington D.C.2014/07/08 7:46Dear DF, Your pronunciation and vocabulary is truly impressive! Probably you only need listening experience.How I wish my Japanese-language skills were half as good as your English!By the way, I remember now who *** Sensei is. She has always been very kind to me.Take care,***氏の話す60%程度しか理解して聴き取れていなかったとのメールに対する回答。・・・一応お褒めをいただいたということでいいんだろうか?
いけばな海を渡るの記・長谷川菊洲(3/3) アメリカと言えば人々の趣味は華麗である場合は軽佻で、豊富な物質と高度な技術で頗る享楽的生活をしているなどとの概念をわれわれがもっているとすれば、それは大きな誤りであろう。アメリカの現代の文明は、あまりにも機械化され、社会生活は機能第一主義の味気ないものだと言う人もある。が、その様な一面もあるだろう。しかし人々はそれを肯定していない。欠陥は合理を以(っ)て排除しようとするよき意志を彼等はもっているに違いない。 私の識った限りでは、彼等の人間性に信頼を寄せるのみである。 シアトルの一社交団体であるヒストリカルソサイテーが主催で、私のデモンストレーションをマコミック邸で催された時など、車を駆って会員三百人も定刻前に集(ま)り、私は二階の庭に面したポーチから人々に挿花を見ても(ら)ったほどであった。後で簡単な茶菓を囲んで会員は談笑して解散したが、これには一定の会費が徴収されていて、必要経費の除いた大部分の金は公共の用に供されるのである。 ある地では、社交団体主催の美術館の維持資金を募るための講習会にのぞんだ。また子供のための病院に会費が寄付されるデモンストレーションを催したいとの交渉を受けたこともあった。こういった善意による社会的行為を根底にするのが多くの社交団体であった。温泉廻りをしたり、料理屋漁りをするのが目的の、わが社交団体とは正に天地霄壌(しょうじょう)の差である。人間を愛し、花を愛し生活を愛するアメリカ人。それが趣味に於いて、どうして華麗軽佻であろうか!実際、私も甚だ単純な赤ケットであったが、親しくアメリカ人の家庭に入り、かつ暫く各地に旅して私の浅見を恥かしく思ったのである。趣味というものは端的に色彩感覚に現われるものである。街に並ぶ広告の看板も商店の飾窓も色彩的には実に明るく鮮麗である。快適新鮮であっても華美浮薄の感はない。やはり建物との調和、さらに隣の建物との調和を考慮に入れた色調である。家庭に於いては安息所としての各室の色彩的配慮(は)なかなか深いものがある。いったいに現在のアメリカ人の色彩的嗜好は明るいが柔かな調子のものがある。フランス的な瀟洒な色調に明快さを加えた感がある。ケバケバしたもの浅薄なものはあまりいい趣味だとはされない。湿度の高い日本の地の、黒ずんだ建物や暗い部屋には不調和に見えるアメリカ人の服装でも、アメリカの街ではよくマッチしているのである。この明るい街に住む主婦は、各々の家庭の修飾をする。壁紙を買って来て貼り、簡単な木工の調度など作り、垣を繕いペンキ塗(り)もやる。主婦はまた家屋の改造についての立案者であり監督者である場合がある。それについて夫と大いに意見の交換をする。この様に主婦たるものは、大いに審美的才能や技術を発揮しなければならない役割をもたされているので、その能力の涵養には積極的である。だからどこの家庭でも美しい色刷の家庭雑誌が幾冊となく購読されているし、またクラブが、さらに進んでは学校の講座が、主婦の知性と感性を昂めるために利用されている。 私が各地で各種の団体に花道を紹介したが、彼女等の求めるのは現代花よりも、むしろ生花の様な定型のものであった。定型はあくまで原則的な原理的な造型性をもっている。この創作の方法を学んで、自分の個性を生かした現代花を生けたいというのが彼女たちの希いであろう。しかも学ぶのであるから曖昧なものでは済まさない。“なぜ枝をそう扱うのか”“なぜその様な色をそこへ入れるのか?”と質問を発する。これは彼女等の科学的思考と造形への意欲を語っているのである。またアメリカ人一般の世界のあらゆる文化を吸集(収)しても、それを自分の生活に合う如くに咀嚼して行く主体の確かさをも示唆するものである。この点は日本のように昨日までの文化芸術は何もかも古臭いものとして捨てて、西欧化への媚態を近代の確得と思っているのとまるで正反対である。花卉の種類も多く、かつ枯れた植物も乾燥して花材商で売っているアメリカで大いに日本花道の造形的方法が普及されたら、彼女たちは見事なアメリカの現代花を部屋に食堂に飾るに相違ないと思われる。私は花道家として、全世界挿花が盛んになることを希っているが、美しいものを美しいとして生活の中で楽しむ人間の善意が、花をいける事でさらに強く高らかに歌われる事を切に願ってやまないのである。五彩の電光で私を迎えてくれたアメリカの人々のように、われわれは自らの生活と結びついた中で花をいけ続けて行かねばならないと今更のように思った次第である。『いけばな芸術』第26号(昭和27年1月1日発行)より注:1)漢字は新字体に改めました。2)大文字になっていた促音の「つ」は、小文字の「っ」に改めました。3)送り仮名は、原文を尊重したため、現代語とは違っているものがあります。4)段落の切れ目には1行空白を入れました。
いけばな海を渡るの記・長谷川菊洲(2/3) その後、いく度となく経験した事であるが、私がデモンストレーションを行い、講習会を催すに際して、いけ花の材料として、公園のものを自由に選んで剪ることを許して貰った。日本でも公園の樹木は手折るべからずとされている。しかし、それはただべからずとの規則であって、花見時の落花狼藉はわれわれの公徳心のきわめて薄弱であるのを示している。アメリカでは、公共のものを尊敬する精神は倫理化し習性となっている。それは自分のためでり、人のためであり、全アメリカの自由のためにあるからである。アメリカの民衆の欣びのため植物を一枚も傷(つ)けずに、培い守る公園の管理者は、アメリカの民衆の欣びのため心よく私に花を剪ることを許してくれたのである。法律や規則がただ人を拘束するだけで、何故に法律があり誰のために規則があるのか判らないわが官僚的な社会生活と比べて、民主主義とはかくも明朗なものであるものかなと思った。明朗といえば、アメリカ人の親切さは立派なものである。行きずりに道を訊ねると仕事をしている人が、わざわざ手を休め、街頭まで送って来て納得の行くまで教えるのである。ある時私の乗った車が、途中で他の車の人から道を訊かれた事があったが、運転する人は早速に降りていって何か話していたが、引返して来て自分の席から地図を持ち出して二十分あまりも教えていた事もあった。街を歩いていてお互いに袖がブッ(ツ)かり合っても、明るく交わされる挨拶は、やはり人間がお互ひ(い)を尊敬し合わない習慣からは生れて来ないと思う。自分に誇りを感じ、他人を尊重し、働(ら)くことを悦び、生活を楽しむ、しかも生活そのものを支える物質が豊かであるアメリカ人。こうした人が花を愛しない事があろうか! 彼等は花を栽培し、部屋に飾り、贈物にもする。そしてただ花だから愛するのではなく、自分の趣味に於て花を選ぶ。 アメリカの各地にガーデンクラブという社交団体が数限りなくある。ガーデンは文字通り個人の住居の庭で、各々の庭を愛し、いろいろと各自の趣味性でもって手入しては生活を楽しむところの同好会である。こう言えば甚だ浮世離れした結構な人々の道楽会のように聞えるが、日本流の郊外住宅者の盆栽いじりや、成金の似非茶人臭の庭いじりとは、まことに面目を異にしている。 都会の中心は商店でありオフイスで高層建築が櫛比しているが、郊外にこの人々の住宅がならんでいるのは日本と同様であるが、住宅そのものが頗る開放的で個性的である。建物の周囲は芝生で、庭木が三角や丸型に綺麗に刈込まれて布置よろしきところに植えられてある。そして建物や庭木や芝生との構成や色彩の調和でもって、適当とされる位置に花が植えられている。大輪のダリヤの如きベコニヤや真赤なアジサイや、また茶花のような小さな草花が、住む人の好みで咲かされている。建物一つでも、屋根の色、壁の色、窓掛けの色のそれぞれが配色を考慮されて選ばれている。しかも住宅には塀がない。いたって低い植込みの垣がせいぜいである。Aは自分の庭を楽しむと同時に、隣の庭も鑑賞する事ができる。道行く人もこの美しい絵の様な景観を眺めつつ歩を運ぶ。車を駆る人は窓外のパノラマを気儘にエンジョイする事ができるのである。個人の趣味は、また他人への奉仕でもある。ここにもアメリカ的民主主義がうかがえる。富裕な人々の大邸宅は、建物は決して豪壮でなく、ただ庭が広闊でいろいろと工夫を凝(ら)してあるから、奉仕的役割も従って大である訳だ。こうした住居をもつ人が集って相互の趣味性を昂めたり、園芸の知識を交換するのが、即ちガーデン・クラブである。しかもこの会員は婦人が多い。家を飾り、庭を手入れする婦人の務(め)になっているからである。『いけばな芸術』第26号(昭和27年1月1日発行)より注:1)漢字は新字体に改めました。2)大文字になっていた促音の「つ」は、小文字の「っ」に改めました。3)送り仮名は、原文を尊重したため、現代語とは違っているものがあります。4)段落の切れ目には1行空白を入れました。