父の本質は末っ子であるというところにある。

どんなに偉ぶって、どんなに指示好きでも、結局は甘えん坊なのである。

 

ひとは非常時に本当の姿がみえるというが

非常時の父は、とても小さい人間で、そして甘ったれだった。

 

 

***

 

2011年3月11日。

転勤族の私たち夫婦は当時、岩手の盛岡市にいた。

父はゴルフで東京に行っており、母は仙台の実家で留守番、犬と共にいた。

 

盛岡も、実家の仙台市太白区も、

ともに震度5強だった。

 

2008年に震度5の地震を経験していて

それより大きかったので体感震度は6くらいだったが

(初期の発表では震度6弱となっている時もあったが)

最終的には、盛岡も仙台市太白区も、震度5強と発表された。

 

なぜ、こんなことをわざわざ書くのかというとあの頃、

自分たちのほうが大きく揺れて酷く被災したかのように大騒ぎして辟易したからだ。

(しかも父自身は当時ゴルフ旅行中で、仙台で被災したたわけでもないのに・・・)

 

盛岡の隣町(滝沢市、矢巾町)も、仙台の別の区も6弱だったので

5強と6弱の間に差はほとんどないのだろう。

もしかしたら盛岡も、父母の住む仙台市太白区も、震度6弱だったのかもしれない。

どっちにしろ大した違いはないのだが、子供じみた父には

はっきりと数字で示さないとわからないので、一応記しておく。

 

家族は、みな無事だった。

私たちの住んでいたマンションも、父母の住む実家の家屋も無事。

マンションは5階だったので大きく揺れたが、床にモノやガラスが散乱した程度。

実家も、母によれば食器棚の食器が割れた程度だったらしい。

 

津波や原発に直面している人々に比べたら、被災者とはいえない。

 

電気もガスも水も止まり、ガソリンが入れられなくなった。

断続的に何度も何度も襲ってくる大きな余震が不安を募ったが

沿岸のひとを想えば、たいしたことではなかった。

 

数日たった日、千葉の妹から

「何か欲しいものない?こっちで買って送るよ」と電話があった。

 

ありがたかった。

喘息の夫が咳止めで愛用している薬用キャンディーが切れていて

心もとなかったので、買えたら送ってもらえないかとお願いした。

 

そのころ、宅急便は配達がストップして荷物は営業所留まりになっていた。

「宅急便だと営業所まで取りに行くガソリンがないから受け取りに行けないけど

郵便屋さんは毎日前を通っているから郵便なら届くと思う」と話して

妹には郵便で送ってもらった。

 

夫はライフラインの仕事をしているので

被災直後から沿岸部へ日参していた。

自衛隊に交じり片道通行の道程をへて現地に着けば

粉塵まじりの壮絶な光景が広がっている。

あの頃の多くのひとがそうだったように夫も使命感で自分のことなど

おかまいなしだったが、喘息の持病が心配だったので

妹から届いた咳止めがありがたかった。

 

***

 

でも、その話を父にしたのがいけなかった。

 

仙台も宅配便の配達は営業所留まりになっていたらしい。

父は、お前は知らないだろうが、とわざわざもったいぶって

「メグは荷物送れるかもしれないけど、いま宅配便はどこも受け取れないだろう!」と

得意気に言うので、カチンときて言い返してしまった。

 

「知ってるよ。でも郵便なら受け取れるの。

だからゆうパックで送ってもらったんだよ」 と。

 

「そっか郵便なら受け取れるのか。ふうん」

父はとたんに機嫌がよくなった。

 

いいことを聞いた!というような雰囲気に一瞬いやな感じはしたが

その時は早く父との電話を終えたかったので、それ以上何も言わなかった。

 

・・・しばらくして

調布の伯母から、食料の入ったゆうパックと、見舞金が届いた。

 

ドッと疲労感が肩に落ちてきた。

震災直後にも電話をもらって話したばかりなのに

もう一度あの伯母とまた話さねばならないかと思うと、げんなりした。

 

ただでさえ震災直後から、友人知人からのメールや電話、

そして【”善意の”受け取れない宅急便】の対応で疲れているというのに。

この上、あの伯母の【善意】に感謝せねばならないのか。

 

・・・しかし電話をかけないわけにもいかないので、

深呼吸をして、お礼の電話をかけた。

 

「アキヒロ(私の父) がね、姉ちゃん食料送ってくれ、郵便で送ってくれって言うから

どうせ送るなら、ついでにあなたにもと思ってね、そうそう、あなた引っ越したのね、

前の住所しか知らなかったわ、まいいんだけどね、住所はアキヒロに教えてもらったの、

食料送ってくれって言われてもこっちもスーパー品切れで買うの大変だったんだけどね、

伯父さんが行ってくれたのよ、ああ、そうそう、お返しはいいからね、

(ベラベラベラベラベラベラ・・・)」

 

電話が通じたと思った瞬間から、調布の伯母のマシンガントークが始まる。

手紙でいえば時候の挨拶的なワンクッションはない。

押しつけがましい善意を揚々とまくしたて、自慢話と苦労話が続く。

 

相槌を打つ間もないので

伯母が言いたいことを言いきるのを待つしかない。

そのあいだ、心はどんどん冷めていく。

 

あのクソ親父・・・・・。

なに甘ったれてんだよ。 娘まで巻き込むなよ。

 

伯母が一通りいいたいことを言い終えると

やっと私の番だ。

大変な中を買い物に行っていただき、荷物を送っていただき、

そして見舞金までも同封していただき、ありがとうございます。

ご面倒をおかけしてしまって申し訳ありません。

 

(送ってくれなんて頼んでいないよ)

(借りを作りたくないのに、こんなことしてくれて)

(このままそっくり調布へ返送したいよ)

(転居通知出してるのに、なんで新住所知らないとか責め口調なのよ)

 

・・・いらぬ紛争をおこさぬために心の声を封印して、

伯母にお礼とお詫びをめいっぱい丁寧にのべる。

 

「いいのよ。いいのよ。あのね、あなたは律儀だからお返しを

しようと思うかもしれないけど、いらないからね。

病気や災害のお見舞いは、お返しをするのは厄を返すことになって失礼だからね。

伯母さんとこはお金に困ってないの。 あなたが思っているよりお金持ちなのよ。

だから気にしないでね。けっしてお返しなんてしないでね。

(・・・リフレイン・・・)」

 

もう、うんざりだ。

郵便なら受け取れるって、父に教えるんじゃなかった。

 

知ったときの父の声色から、妹に父も頼むかなとは予想したが

まさか調布に食料支援をするとは思わなかった。

しかもこっちにまで飛び火するなんて。

 

仙台だって食料全然買えないわけじゃない、って言ってたじゃないの。

盛岡だって全然買えないわけじゃない。

1時間並んでも2時間並んでも、お菓子しか買えなかったとしても

調布の伯母さんからの荷物を受け取る苦痛に比べたら苦じゃないよ。

 

甘ったれクソ親父。 パニック野郎。

 

私はあれから何度も何度も、心のなかでそう悪態をついた。

 

 

***

 

子供は成長するにつれ、

自分の親が万能ではないこと
実はちっぽけで、間違いだらけだということを知っていく。

でも、そこは親子愛や家族愛のバイアスがかかるから、見ないようにする。
もちろん、親を傷つけたくないから決して口にはしない。

子供が大人になると

親は老いてますます頑固に、ますます狭い視野になっていく。


けれどいつまでたっても子供を支配下に置こうとする。命令し続ける。
そして、ちょっとでも意見しようものなら烈火のごとく激高する。

どこまでこれに付き合っていけばいいのか。
いったい何歳までこれに付き合わねばならないのか。

お父さん、もう命令しないでよ。

お父さん、もう怒鳴らないでよ。

もう威張らなくていいんだよ。
かっこつけなくていいんだよ。

私だって、社会人になり、男社会の会社で踏ん張り、
結婚して、夫の転勤であちこち動いて、
けっこうな数のひとを見てきたんだよ。 もう大人なんだよ。

お父さん、もう私わかってるんだよ。

お父さんがちっとも強くないってこと。

お父さんがちっとも賢くないってこと。

お父さんの「時」がとまっていること。

 

お父さん自身が一番に

自分のちっぽさをわかっていること。