私の母は子供嫌いだったらしい。
30代半ばくらいのとき
はじめて母の口からそれを聞いて、妙に腑に落ちた。
『結婚前は、子供なんてうるさくて嫌いだったけど
いざ自分が子供を産んでみたら、自分の子供だけは大丈夫だった』
と母はさらりと言った。
嫌いなニンジン食べれるようになった、みたいな軽さで言った。
『やっぱりお腹を痛めて産んだ子は違うのよね』
私は最初の結婚で失敗してまだ心身ともにボロボロだった時だった。
身体のこともあり、自分ではもう
子供は産めないかもしれないと思っていた頃だったけれど、
母の言葉は、私の些末な心の傷など吹っ飛ばす鈍感力を備えていた。
母は私が感動&感謝でもすると思っているような無邪気な顔を向けていたが
感動エピソードととらえるには、母はあまりにも私にとって遠かった。
それよりも、私の母は子供がきらいだったのだ、という事実が
あまりにもストンと、私の胸の空箱に落ちついた。
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今も、鮮明に覚えている母の言動がある。
私が幼稚園の年長だったときだ。
もうすぐ小学校入学という頃。
まだ寒く、雪もあったので、
もしかすると正月明け。 遅くても2月か3月はじめ頃だと思う。
祖母がランドセルをプレゼントしてくれた。
それをしみじみと見ながら母は、
今まで聞いたことのない大きなのびやかな声で
「あーーーーよかったーーー!!!
やっと一丁あがりだわ!解放されるーー!!楽になるーー!!」
と、本当にうれしそうに、何度も何度も言った。
「カイホウってなに?」と私が聞くと
「お母さんの自由な時間ができるってことよ」
と母は、さも得意げに答えた。
私にとってのスタートは、母にとっての1つのゴールだったのだ。
まだ幼い6才の私は、その時の想いを
言葉にも顔にもだせなかった。
”そんなに私が小学校へ行くのがうれしいの?”
悲しさとか、寂しさとか、言葉にならない感情を持て余し
「小学校に上がれるのうれしいだろう」という大人たちの言葉に
あいまいな笑顔でウンと応えるのがやっとだった。
母の嬉しそうな様子が、ただショックだった。
「二人(の世話)が一人になるって、助かるわー」
「おねえちゃんだけでもいなくなってくれて、
これでやっと少しは自分のことができるってもんよ」
「あーよかった。あーやっと小学校に行ってくれる。長かったわー。大変だったわー」
私の入学の日まで、母はあれこれ言葉をかえて
父や、祖母や、隣のおばさんや、内職仲間のおばさんに
自分がこれまで年子の世話でいかに大変だったか
上の子が学校へ行ってくれてどれほど楽になるかを語ってみせた。
私はそのたびに、ちくりと胸に痛みを覚えた。
わざわざ私の前で言うことないじゃない、と指摘するには
そのときの私はまだ幼すぎた。
それに気づかない母もまた、やはり幼い母親だったのだと思う。
小学校に上がるまでの数年の子育てさえも苦痛だった母は、
長女の小学校入学を機に”解放”されるその春、
私が知るかぎり彼女の人生で5つの指に入るほどの
晴れ晴れとしたいい顔をしていた。
子供の一人が小学校にいって
母がどれほどの自由な時間を得たかどうかは定かではない。
でも、小学生になった私は、
もう決して母の手をわずらわせてはいけないのだと、
小さな胸に言い聞かせた。
母の ”カイホウ” を邪魔してはいけないと
子供心に理解していた。 苦しいほどに。
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