以前、母の項や父の項で、少しだけ妹のことについて書いた。
https://ameblo.jp/daisychains1993/entry-12578285663.html
https://ameblo.jp/daisychains1993/entry-12573834462.html
妹の話を書くのは難しい。
何から書けばいいのかわからないくらいに感情がぐしゃぐしゃだ。
だから一番後回しにするつもりだったが、やっぱり急ごうと思う。
上記でふれたような幼い頃の
なつかしい、可愛かった頃の妹の思い出から
はじめていきたいと思う。
**********
幼稚園に通う頃になると
私はいよいよ妹の世話係が多くなった。
母にしがみついていた妹は
「おねえちゃん、おねえちゃん」といって
私のあとばかり付いてくるようになった。
私の行くところへは必ず自分も行きたがり
私がやることには必ず自分もやりたがった。
そんな妹が邪魔くさくて、
”真似しないでよ” ”一人で行きなよ(やりなよ)”
といつも払いのけたくなった。
そのまま言葉にしたことも何度もある。
そのたび、妹は大泣きし、私は非情な姉の役割を負わされ
大人たちは決まって
「お姉ちゃんなんだからやってあげなさい(連れていきなさい)」
と私を叱った。
*****
ピアノの習い事に行くとき。
私が一年生のときは一人で通うのは問題なかったが
年子の妹が翌年、同じ教室に通うことになり
私は歩きの遅い、泣きべその妹を
毎回連れていかなくてはならなくなった。
ピアノの先生は山の上の団地にあったので
山道を小学校1・2年生の幼い二人だけで通っていたのだ。
妹はよく転んだ。
木の根につまづくのだ。
何度教えても学習しない。
あ、転んだと思った瞬間、いっしゅん間があく。
そして次の瞬間、そこらじゅうに響きわたる大声で泣く。
妹はひざをすりむいただけでも
しゃくりあげながら真っ赤になって泣いた。
「おねえちゃん、おねえちゃん、わたし死んじゃうの?」
けがをすると、妹はよくそういって泣いた。
(以前、父の項で書いたが)
私はそのころ、父の自転車の特訓で
両足が傷だらけでかさぶたも固まらないほど緑色の膿を
足と腕のあちこちにこしらえていた。(今だったら児相に通報されてますね)
だから、泣き止まぬ妹に、自信をもってこたえた。
「大丈夫。死なないよ」
私は厚手のデニムの習い事バッグから
ハンカチを取り出して、自分のツバをつけ
妹の膝をふいた。
「おねえちゃん、おねえちゃん」と妹は目に涙をいっぱいためて
安心したように少しずつ泣き止んだ。
*****
妹は怖がりで泣き虫のくせに
なんでも私と同じことをしたがった。
遊園地に行けば、私はスリリングな回転ものが好きだった。
妹も必ず「私も!」と言った。
必ず泣くとわかっていたから、私は妹には
やめたほうがいいと言ったが、それで聞く子ではなかった。
お母さんと一緒にのれば!と言ってもだめだった。
父や母はあまり遊園地の乗り物が好きでなかったため
「お姉ちゃんといっといで」と私に妹を押し付けた。
動き出してすぐに妹は泣き出し
「おりたい、おりたいよーー」とわめきちらす。
またか、私だって子供なのに、周囲にごめんなさいと言う。
両親は乗り場の外にいるが、こちらを見ていない。
私は腹を決め、乗り物を楽しむことはあきらめ
妹をあやすことに徹する。
「だいじょうぶ。ここをこう持って」
「だいじょうぶ。おねえちゃんついてるから」
「だいじょうぶ。あと少し、もうすぐ終わるから頑張って」
私にすがるような目を向け、
うん、うん、と大粒の涙を流しながらハンドルバーを握る妹。
私は、ほんの少し先に生まれただけなのに
泣くことも、”こわい”と口にすることも、できない自分。
一生懸命しっかりしようと歯を食いしばれば食いしばるほど、
この泣き虫の妹のほうが、人に愛されるということを分かっていた。
*****
小学校4年のとき、私は一人で浜松の祖母のところへ
新幹線で行きたいと申し出た。
前年に両親と新横浜から行って経験から、
これなら一人でも行けそうと思っていたからというのもあるが
何かチャレンジしたかったのと、
甘えん坊の妹と、しばしおさらばしたかったからだ。
祖母はとてもうれしそうだった。
両親は最初こそ「大丈夫なの?」と聞いたが
まあそれも勉強になっていいかもね、と承諾してくれた。
直前になって
妹が「私も行く!」と言い出した。
お母さんいないんだよ?大丈夫なの?と聞くと
(妹はまだ一人で買い物にも病院にも行けなかった)
迷ったようだが、大丈夫だもんと言った。
一人でおばあちゃんとこ行くなんて、えらいわねえ!と
私のことをほめる社宅のおばさんたちのセリフに発奮したのか
あるいは、姉と一緒なら自分だって行けるもんと思ったのか
妹の真意はわからないが、とにかく自分も行くと言ってきかなかった。
私はいやだといった。 どうせまた泣くだろうし、
妹の世話でてんてこまいになる旅なんてまっぴらだ。
私は一人で行ってみたかったのだ。
一人でやりとげて、大好きな祖母のもとに遊びにいきたかった。
甘ったれの妹のいないところで、のびのびと過ごしたかった。
たまには私だけ大人に甘えてみたかった。
でも、夢は打ち砕かれた。
結局、妹はまた私におしつけられ、
両親は久々の夫婦みずいらずを選んだ。
新横浜のホームまでは両親が見送りし、
静岡のホームでは祖母が迎えにくる、
という、実質的には新幹線の中だけの、子供だけ旅行。
私は、つまらなかった。
普段さんざん私を一人でどこへでも行かせるくせに
妹つき旅行となるや、車両にのせるまで母は妹につきそった。
駅についたときから妹はすでに
目に涙を浮かべていた。 私はうんざりした。
お土産のシュウマイをもって、指定席を探し、席につく。
妹は今にも泣きだしそうな顔で、ホームの両親に手をふっている。
窓側に妹を座らせると、ガラスにびっとりと顔をつけて父と母を睨んでいた。
まるで私が無理やり妹を両親から引き離す悪徳商人のようだ。
発車のベルが鳴り、ドアがしまる音。
ガタンという振動と共に妹は泣きだした。
リスのような真っ黒な瞳からボロボロと涙がおちる。
テレビドラマのように父と母が少しずつ遠ざかると
妹は、いつものギャン泣きの兆候である
大きく息を吸い込む仕草を見せた。
夏休みの新幹線は満席だ。
私は「やばい!」と焦り、とっさに妹に
「メグ。アイス食べたくない?」と声をかけた。
もう父や母どころではない。
妹の気をそらそうと、10才の私は必死だった。
8才の妹は「アイス?」と即座に反応した。
「うん。お母さんからお金預かってるから。
売り子さんがきたらアイス買ってあげる。きっとすぐくるよ」
私がそういうと、妹はにこっと笑顔になり、泣くことをやめた。
ギャン泣き回避だ。
私は子供ながらに胸をなでおろし、早くアイス来て!と願った。
新横浜を出てまもなく、そうほんとに5分かそこらで
ワゴンのお姉さんはやってきた。助かった!!
アイスはバニラ一種類しかなく、しかもキンキンに硬かったが
自分専用のアイスを得て、妹は上機嫌だった。
私も同じものを一つ食べた。
周りの大人の視線が気になったが
誰も声をかけてくるひとはいなかった。
私も幼いながらも精一杯の強がりで
大丈夫ですから!ビームを出していたと思う。
アイスを食べ終わると、妹はまた落ち着かなくなった。
妹はトイレが近いので、静岡につくまで二度も
トイレに付き合った。(妹は一人でトイレに行けないので)
怖がるので、中まで一緒に入ってやった。
座席に戻ると、また寂しさと不安が
彼女なりに押し寄せてきたのだろう。
「おねえちゃん」と言って、また涙を浮かべる。
窓の外の景色を指しても、まったく興味をしめさない。
まだ浜松まで半分も来ていない。
大きな川(天竜川)を超えるまで、新幹線からは降りれない。
私はふと思いついて、
「メグ、お土産のシュウマイ、食べちゃおっか」と言ってみた。
妹はまた途端に笑顔になった。
(どんだけ食い意地はってるんだ・・・)
「でも、食べちゃったらお母さんに怒られちゃうよね?」と
それなりに遠慮の心はあるらしい。
「だいじょうぶ。おばあちゃんに話せばきっとわかってくれるから。
おばあちゃんがいいっていえば、お母さんも怒らないから」 と私が言うと、
妹はいたずらっ子のような顔をして 「シュウマイ、食べちゃおっか」と
先ほどの私の口調を真似た。小憎らしいほど可愛かった。
出来るだけゆっくりシュウマイを食べ
母に持たせてもらった水筒のお茶をちびちびと飲んだ。
二度目のトイレにつきあい、戻ると、
ようやく静岡をすぎる頃だった。
妹に、もうすぐだよ!と言うと、妹はもう泣かなかった。
浜松駅のホームには祖母がにこにこと立っていた。
妹は駆け寄って、一人でこれたー!と自慢した。
一人じゃないよね?私とだよね、と思いつつ
私は祖母に伝えなければならない二つの言葉を言った。
「おばあちゃん、還暦おめでとう。年金生活おめでとう!」
「おばあちゃん、ごめん。お土産のシュウマイ食べちゃった」
祖母は、まあ!まあ!と言って笑った。
祖母は8月生まれで、私とちょうど50歳違い。
60まで勤めあげたしっかり者だった。
会社をやめてハレの年金生活よ、と母がうらやましそうに
言っていたので、会ったら真っ先に言わなくてはと思っていた。
祖母の家についてから、祖母は
私たちが無事ついたこととシュウマイを食べてしまったことを
おかしそうに母に報告し、同居する伯父は私たちをからかった。
夜、また妹が眠れないとべそをかき、
「じゃあ、明日おばあちゃんに何を買ってもらおうか一緒に考えよう」
と言って、二人であれこれ考えた。
妹は旅の疲れもあって、すぐに寝た。
次の日の昼も妹は泣いたが、
夕方には両親が後追いでやってきたので
私は1泊2日のお守りで済んだ。
妹はいっそう甘えん坊になって、母にまとわりついた。
「あらあら、おばあちゃんちまで一人で行けて
せっかく大人になったと思ったのに」 と母は笑った。
母もまた、たった2日の別離を取り返すかのように、優しかった。
その夏は、寺尾聡の 『ルビーの指輪』 が流行っていた。
私は早く大人になりたいと思っていた。