私は父方の伯母が嫌いである。
物心ついた頃から嫌いである。
どのくらい嫌いかというと
自分の結婚式に伯母には来てほしくないから披露宴はやらない
と決めたほど、嫌いである。
私と妹は、そのひとを「調布のおばさん」と呼んできた。
父と母がそう呼び、教えてきたからだ。
父の姉であり、母にとっては小姑である。
7人兄弟の末っ子である父には、姉が3人いる。
上から、厚木のおばさん、横浜のおばさん、調布のおばさん。
それぞれの伯母が住む地名とセットの存在だったが
私はとりわけ調布のおばさんが嫌いだった。
何故か。
おおもとの苦手意識は、母によるものだと思う。
物心ついたときから母はよく伯母たちの悪口を言っていた。
母にとっては小姑だから愚痴の類だったのだろうが
物心ついたときから聞かされている子供が
そんな人たちのことを無邪気に好きになれるはずもない。
義姉三人はわかりやすく仲が悪かった。
三人三様に自己主張が強く、わがままで、欲深く、常に競争しているようだった。
アクの強い小姑3人を前にした母は、さながら弱き小動物のように
さからわず、口をはさまず、けれど邪魔にならない程度の笑顔を浮かべて対峙する。
(といっても3人が揃うことは滅多になかったので、
数年に一度の我慢じゃないの、とも思うが、母にとってはストレスだったらしい。
特に調布の伯母は話がしつこく長いので母はいつも辟易していた。
調布の伯母からの電話をとると
母はしまったという嫌な顔で舌を出し、
電話台のメモ用紙に「調布!」と書きつけてよこしながら
うんざりした顔を私たちにジェスチャーし続けた。
電話はいつも、最短でも1時間、長いときは2時間近くにもなった。
こちらはほとんどあいづちだけで、伯母が一方的にしゃべる。
調布の伯母は、人の話は聞かない。聞いてもすぐに自分の話になる。
そろそろ終わりかなという挨拶を交わしていたかと思っても
まだまだ序の口に過ぎない。
話をはループし、その揺り戻しは何度も繰り返され
母も、それを見守る私たち家族も、ほとほとうんざりするころにやっと電話が終わる。
出かけるところだったり、夕食の支度途中だったり、テレビの途中だったりすれば最悪だ。
厚木や横浜の伯母は、それぞれ個性的だが長話にはならない。
だから子供ながらに面倒なのは調布だけだと思っていた。
しかし外面のいい八方美人の母にとっては、
義姉三人とも、わずらわしく面倒な存在だったようだ。
母は伯母たちと話すとき
1オクターブ高い声と、はしゃいでいるようなテンションになる。
そして、車での帰路、電話を切ったあと、
母はわざと聞こえるような溜息とともそのストレスを家族に発散する。
「結婚したときは、末っ子だから継ぐ財産もない代わりに
親の面倒とか同居とかの苦労はないからよかったわと思ってたのに
お姉さんが3人もいるんですものねえ。大変よほんとに」
母がいかにも疲れたという風に、良き嫁の仮面を脱いで
彼女お得意の冗談めかした不満をぶちまけると
普段短気な父にも関わらず、気苦労かけてすまないという顔をする。
そのやりとりを幾百度、見せられたことだろう。
よほど結婚するときに「俺は末っ子だから実家のことでは苦労させない」
とでも言い切って母をくどいたのだろう。
成長するにつれ、母にとってのいわば敵である小姑3人のことを
フラットな気持ちで客観的にみれるようになっていったが
ただ一人、調布の伯母だけは
”私自身にとっての” 苦手な存在として定着した。
話がしつこくて長いからではない。
自分のことばかり話すからではない。
自慢話が好きだからではない。
それは父にも言えることだし、私自身にも同じ血が通っている。
同族嫌悪こそあれ、人としての許容範囲だ。
私が、自分自身の感情として調布の伯母を嫌うのは、
底意地が悪いからだ。
口にしていいことと、いけないことの区別ができないからだ。
そして、そっくりの性質を受け継いだ彼女の娘(つまり私の従姉妹)と
私の妹メグミにも、まったく同じ血が流れている。
人を神経を逆なでする言葉を吐く、薄汚い愉快犯のような血が。
私は生涯、調布のおばさん、従姉妹のヨシコチャン、妹のメグミを
吐き気がするほど嫌悪し、軽蔑し続けてきた。
長くなるので、ページを改めて書いていけたらと思うが
彼女たちへの嫌悪と軽蔑は死ぬまで消えることはないと思う。