優しさとは強さである、と言うひとがいる。
本当に優しいひとというのは強いひとである、と誰かが雑誌で講釈していた。
真理はわからない。
人格を言葉あそびのように一行であらわせるはずもない。
けれど、その論法で言ったら
私の”弱い”母は、優しくないということになる。
これだけ母の悪口を書いてきてこういうのもなんだが
母はそれほど悪いひとではない。
優しい母だったかというと素直にウンとは言えないが
かといって非情なひとでも母性がないひとでもなかった。希薄だっただけだ。
ただ、子供の頃に高熱で意識がもうろうとしていたとき
母がベッドに近づいてくると猛烈に恐怖を感じて(悪魔そのものに見えたのだ)
こないいで!こないで!と拒否したことがある。
そして代わりに父がきて、ここは家なのだと安心したのだった。
母がよく言う 「あなたはお父さん子だから」
「年子でたいへんだったから上の子のあなたはお父さんにくっつけといて成功した」
というセリフは、母が私の気持ちや悩みをわかっていなかった証左でもあるが
上記のような、無意識のときに私が母を拒絶したことも関係していると思う。
父も母も完璧なひとではなかった。
けれど愛されていると思っていた。
だから苦しさは自分のなかに死ぬまで閉じ込めておこうと思ってきた。
でも、幼い頃から本能でわかっていたことがある。
父は私や妹のためなら命をかけて守ってくれる。
けれど母は私たち家族のために自分の命を危険にさらすことはない。
どちらがいいとか悪いとかじゃない。
父の愛情は過剰で、母の愛情はクールだった。
***
中学の頃、
wise と clever の違いを得意気に説明する英語教師がいた。
wise は一般的な賢い、clever はどちらかというとズル賢い、
というニュアンスの違いがあります、と。
そのステレオタイプの説明がちょっと違っていたことを知ったのは
イギリスで生活をしてからだったが、説明の是非はちょっと端へ置いておく。
英語教師のCLEVER論を聞いたとき、私は真っ先に母のことを想った。
母は自分のことを賢いと思い、それをよく娘たちの前で口にしていた。
私はわりと成績がいいほうだったが、
たいして勉強もせずに100点を取ってくる娘に母はいつも、
「よくやったね」「頑張ったね」とほめるでもなく、
「お母さんの子だから当然よね。頭よく産んでもらって感謝しなさいよ」と言った。
そんなときの母は、今の言葉でいうなら、ドヤ顔だった。
先のページで、私の母は弱いひとである、ズルいひとであると書いた。
英語教師の言う、wise とclever の違いを聞いてから
私の中で母は ”clever” という一つの単語でくっきりと意識されるようになった。
頭はたしかに多少よかったのかもしれないが
母はそれを賢明や聡明に昇華させずに、矮小で些末な立ち回りに使った。
若くして専業主婦になり、狭い世界で母は70を超えた。
ズル賢い、という言葉を母にあてはめるのは子供ながらに抵抗があったのだろう。
だから、母の嫌な面を見てしまったときは
clever という言葉に変換して、母というひとを見ていたのだと思う。
批判をうけることに ”弱い” 母にむかって
それを口にしたことはなかったけれど。