私は調布の伯母が嫌いである。

心の底から

吐き気がするほど、嫌いである。

 

どのくらい嫌いかというと

20年くらい前に父がクモ膜下出血で倒れたのだが

おかげ様ですっかり完治したとき、父が助かったことへの安堵の一方で

「これでまだまだ調布との付き合いは続くのか・・」

と、絶望的になったくらい、伯母のことが嫌いである。

 

父の命が助かったというのに不謹慎かもしれないが

父が生きている限り、父と伯母との親密な関係は続く。

娘なんて放っておいてほしいのに、関わりたくないのに絡めとられる。

そのことに暗澹たる気持ちになったのだ。

 

私があの姉弟から逃れるには

父か、伯母か、私自身か、

三者のうちいずれかが死ぬ日を待つしかないのだ。

 

ブルドーザーのように周りの気持ちなんて蹴散らして生きてきた
自分中心の父と伯母は、後期高齢者となった現在もピンピンしている。
あのゴキブリのような生命力に勝てるとはとても思えない。

 

父や伯母が亡くなってそれなりに悲しんで死を悼み、そして自由になる。

・・・ そんな世を一年たりとも謳歌することなく、私は自らの命を費えるのだと思う。

 

***

 

父はわが家では威張りちらしている暴君のくせに

伯母に対しては 「ネエちゃん、ネエちゃん」といって

甘ったれの末っ子根性が顔を出す。

 

そんな父の甘えとセットで、私は伯母が大嫌いだった。

 

母によると、大家族・末っ子の父は

子供の頃によく調布の伯母におぶわれていたらしい。

 

伯母にとっては可愛い弟。

父にとっては兄弟の仲で一番甘えられる姉。

 

多摩川をはさんで、調布と川崎。

貴重な週末。私の気持ちなど知るよしもなく

父は家族を連れて調布へ向かった。

 

橋の手前はいつも長い渋滞だった。

エアコンのない車は灼熱で、うんざりした。

 

調布の家は小さく窮屈だった。

伯父は優しいひとだったが、ペチャクチャうるさい伯母と

底意地の悪い従姉妹のヨシコチャン。

 

行くまでも憂鬱なら、帰るときはもっと憂鬱だ。

 

子供に拒否権などあるはずもなく、父の鶴の一声で

仲良き姉弟の ”家族ぐるみのおつきあい” ごっこに付き合わされた。

 

親を想う子供が、それを断ち切ることが難しいほどに。濃厚に。