私の妹は、小さい頃にかいでいた母のエプロンの匂いが
自分にとっての母の匂いだと言う。
「お母さんのエプロンの匂いが好きだったって、あの子言うのよ」
と、孫もできてすっかり温厚なおばあちゃんになった母は
なつかしそうに、少し自慢げに言う。
私は、それをはじめて聞いたとき
エプロンの匂い???
まったくピンとこなかった。
かいだこともなかった。
私はどんな匂いかわからない、と言うと母は
「だってメグ(妹)ったらいつも私のエプロンの下のほうにしがみついてたから。ふふ」
と、嬉しそうな、母親らしい柔和な表情で言った。
30代半ばで、出戻りした長女は
そのエピソードと、母の様子に、ぐさりときた。
そして思い出した。
そうだ。
いつだって妹は、母にしがみついていた。
トイレにもゴミ捨てにもついていく。
母にふりほどかれれば火がついたように泣く。
「これじゃあ、トイレにも行けないじゃない!」と母はよく
ぶつくさ言っていたが、本気で怒っている感じではなかった。
妹はよく泣く子供だった。
病院で白衣の先生を見た瞬間に泣き、
注射器を見てさらに泣き、帰りに薬の瓶を見てまた泣いた。
転んでは泣き、私と喧嘩しては泣き、知らない家に行けば泣いた。
痛かったり、悔しかったり、不安だったりしたときはもちろん、
自分の思うようにならないとき、大人たちの関心が姉に向いたときも
大声で泣き喚いた。ザーザーと滝のような涙を流して泣いた。
妹が私と同じ幼稚園にあがると
母はこれ幸いとばかりに私に押し付けた。
通園バスでは妹は常に私の後ろにひっついてきて
私が友達と楽しそうにすると邪魔をするように割ってはいった。
気が付かないふりをすれば、またすぐに泣いた。
幼稚園のお泊り会のときは
妹の担任の保母さんに呼ばれ、私は自分の組から引き離された。
「お母さんから、メグミちゃん、お姉ちゃんと一緒なら
オネショしないかもしれないからって電話で。
ごめんね。こっちで一緒に寝てあげてくれない?」
妹は小学校にあがるまでオネショしていた。
幼稚園でのお泊り会でもオネショが心配だった母が
私のお泊り会の愉しみよりも、妹がそそうをしでかす心配を優先して
保母さんに提案していたらしい。
私は、年長組の友達とはなれ、
妹の年少組のお部屋で、妹の隣で寝た。
私がタオルケットを持って泣いている妹のそばへいくと
妹はぱあっと笑顔になって、泣き止んだ。
私は妹のこの顔に弱かった。
お姉ちゃんだから、この子を私が守らなくちゃと思った。
**********
私も母に手を握ってほしかった。
私も母の背や胸に抱かれてみたかった。
私も母とお留守番をしたかった。
私だって、母のエプロンの匂いがわかる子供時代を過ごしたかった。
けれど、それを母に言うことはなかった。
姉だからわがまま言ってはいけない、という気持ちと
さみしいということを口にしたら妹に嫉妬しているようで悔しかったから。
これから先も打ち明けることはないだろう。
母の記憶は、私は立派に育児をやりとげたと美化され、
私の記憶は、心の奥に押し込めてきたぶん醜く恨みがましいものになった。