(つづき)

 

父の生臭いキスの感触が残るなか

私はとても落ち着かない気持ちで過ごした。

恐怖とも少し違う。でも、怖かった。

 

昼間の父は相変わらず、威張っていた。

母は父を、立派で優秀で尊敬すべき人だと

私たち娘二人に教え続けた。

 

私は夫婦仲のよい両親が好きだった。

本当は、深層心理は違っていたのかもしれないけど

子供の頃の私は、父と母を誇り尊敬していた。

 

 

そして、はじめての喘息発作がおきた。

 

ある夜、いつものように眠っていると

急に呼吸が苦しくなって目がさめた。

 

布団をはがし、寝る態勢を変えても

何をしても苦しい。

 

起き上がって布団の上に座り、

正座で背を丸め、お辞儀をするような恰好でいるのが

それでも一番楽なような気がして、そうしていた。

 

背中に、身体の中の背に近いほうに

枯れ葉がザーッと舞うような感じがする。

背中に木枯らしが吹いているような、変な感じ。

 

子供心にも、これはちょっとマズいやつだとわかった。

 

お母さん・・・。

母の顔が浮かんだが、両親の寝室に行くのが怖かった。

妹はいびきをかいて眠っている。

もう夜中だし、母もきっとぐっすり眠っているだろう。

 

家族を起こすこともできず

じっと苦しさがおさまるのを待った。

 

自分で胸や背中をさする。

なにも変わらない。苦しい。苦しい。

 

ヒューヒューとやかんの音のような

変な音が口ではないどこかから聞こえる。

 

このまま死んじゃうのかな、と思ったが

15分、20分くらいだったろうか。

しばらくすると、呼吸が元にもどってきた。

 

呼吸と同じリズムで

ピーピーという音が身体の奥のほうからしていたが

私は再び横になることができた。

そして家族が起きる朝まで待った。

 

朝、父が出勤したあと

「お母さん、わたし昨日の夜中、ちょっと具合悪くなった」

と言ったが、母はさほど興味もない様子で「あらそ」と言った。

 

私は、まだ11才か12才だったが、

これは【呼吸器】が関係しているのではと思った。

 

ピアノの教室に行く途中に新しい病院ができ

その看板に呼吸器内科クリニックと書いてあり

呼吸器の意味を調べたばかりだったからだ。

 

面倒くさがそうにきく母に、

「ねえ、聞いて。ピーピーって音きこえる?」と訴えたが

「うーん、わからないわねえ。気のせいじゃないの?」

と取り合ってくれない。

 

「お布団かぶって寝てるからでしょ。

ちゃんと顔だして寝なさい!」と怒られた。

 

父が来るのが怖いから、とは言えない。

 

その晩、私はまた発作がおきた。

もうだめだと思った。

 

翌朝、母にもう一度懇願した。

 

「これね、ヒューヒュー、ザーザーって鳴るの。

息と一緒になるの。吸ったり吐いたりするときになるの。

ピアノの先生のところに行く途中の、呼吸器内科って書いてあった

あの白い病院、あそこに行ったほうがいいかな?」

と自分で病院まで指定して提案してみた。

 

母は、専業主婦だったがいつも忙しかった。

もうその頃はすでに買い物依存症の兆候がでていて

買い物だけでなく、ステンドグラスやパン教室、お人形作りなど

社宅の奥さん仲間たちと競うようにあちこち出かけていた。

 

内職で洋服のお直しをしていたが、逆にその店で服を買うことも多かった。

自分が内職をしていることは絶対に言うなと私たちに難く口止めしていた。

 

母の関心の中で、娘の割合はとても小さかった。

 

その日、学校でも掃除の時間に発作がおきた。

先生は心配そうだったが、

「大丈夫です」という私の言葉を鵜呑みにし、保健室は使わなかった。

 

帰宅後、母に、病院に行かせてくれと頼んだ。

お金が惜しかったのか、ただ面倒だったのか

母は思い切り不機嫌な顔で財布を出しながら

「もう、一体いくらかかるのよお?」と言った。

 

子供の私にわかるわけもなく、わからないと答えると

母は千円札を三枚渡し、

「そんなに行きたいなら勝手に行きなさい。一人でいってよね」と言った。

 

そのときの母の言葉と表情はいまも忘れない。

でも私は内心ほっとしていた。

”これで病院に行ける”

 

子供ながらに必死だった。

自分の身は自分でしか守れないと本能的にわかっていた。

 

太ももに火傷したときだって、左手の指を骨折したときだって

私は独りで病院に行かされていた。

小学校一年のときから、病院へは一人で行っていたのだ。

泣き叫んでグズッて一人では何処へも行けない妹と違って、

私は”お姉ちゃん”だったから。

 

呼吸器科の病院へ一人で行くと

診察室の先生は、聴診器をあて、

「苦しかったろう」と優しい顔で言った。

グッと口の中にしょっぱいものがこみ上げたが、こらえた。

 

点滴を打ってもらったら、少し楽になった気がした。

注射もしたかな?(忘れた)

とにかく、びっくりするほど息苦しさが緩和されて

先生と看護婦さんの優しいまなざしに、やっと気持ちの緊張がほぐれた。

 

「お母さんは知ってるの?」と尋ねられ

知っているといっては母が責められるのではと思い

とっさに 「知りません」と答えた。 (今考えれば、お金もらってきてるのにね)

 

「お母さんを連れて、あしたもう一度くることはできるかな?」

というので、「できると思います」と答えた。

 

帰り際、先生が

「あしたは必ずお母さんと一緒に来てください」

と言った。

 

病院の先生にありがちな赤ちゃん言葉でなく

大人のひとに言うような口調で言われたのが何故か嬉しかった。

 

帰宅して母に

「点滴してもらった。明日お母さんと来るように言われた」

というと、母はびっくりした顔でちょっと気まずそうな顔をした。

 

自分の落ち度を責められることを嫌う母の、いつもの顔だった。

私は、「お母さんは(私の症状を)知らない、って言っといた」

というと、表情がほぐれ、明日は学校を休みなさいと言った。

 

翌日、母は買ったばかりの新品のツーピースとジャケットを着て

優しい母親の表情で私と一緒に病院の待合室で診察を待った。

 

私の病名は、気管支喘息だった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

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