幼い頃、私は母や妹と一緒に

ひな人形の飾りつけをするのが好きだった。

 

私の家のひな人形は、母方の祖母が買ってくれた。

タンスの上に載せられるショーケースタイプのものだった。

 

「引越しが多いからケースに入っているもののほうが便利だからね。

大きいからっていいわけじゃないのよ。場所もとるしね。

それにこのお人形は高いのよ。ほら、名前が入ってるでしょ。

そんじょそこらの八段のものよりイイモノよ。おばあちゃんが奮発してくれたのよ」

と、母はいつも同じことを言っていた。 金額を口にしたがるのは母の癖だ。

 

はじめて友達の家で八段飾りのお雛様を見たときはびっくり&感動して、

ちょっとうらやましい気持ちも湧いたが、

祖母の選んでくれたお雛様は小さいながらも

とてもきれいな優しい顔をしていて、見ていると幸せな気持ちになった。

母に恩着せがましく言われるまでもなく、私は自分の家のお雛様が一番好きだった。

 

そのショーケースの引き出しはいつも、

「ひなまつり」と書かれた商品カタログのような冊子が入ってた。

(取説ではなく、人形メーカーの商品が大小さまざまに載っているもの)

 

ケースタイプは、普通の八段飾りとは陳列が少し違うので、

その冊子に載っていた、一番似ているショーケースタイプのものを見本にして並べた。

 

お内裏様、お雛様とぼんぼり、横には三人官女、

その下には五人囃子、桃の木やミカンの木、ままごとのような家財道具たち。

笛や太鼓、弓矢の羽の持たせ方も、その冊子を参考にしていた。

きれいに並べ終えたときの達成感は、子供心に気持ちがはなやいだ。

 

 

*****

 

ある年の春。

いつものひな祭りの飾りつけをしながら、私と妹はケンカをした。 

 

ひな人形の飾りつけ中のことだったから、お雛様をどっちが並べるかとか

きっかけはそういった他愛もないことだったと思う。

 

妹はケンカをするといつも私の髪をひっぱり、腕に噛みついてきた。

 

髪の毛がごっそり抜けても、

妹の歯型で黒ずんだ内出血の腕をさらに噛まれても

「泣かない姉」の私はひるまなかった。

 

かわりに言葉で妹をなじり、

思うようにいかないからといって暴力的に出る妹をあざけった。

 

母は、私がかまれた傷跡を何度見せても、抜けた髪の束を何度見せても、

涙一つみせない長女の訴えに真剣に耳を貸すことはなかった。

 

「あの子はあんたに口で勝てないからそうするんでしょ」と取り合ってくれないので

幼い私の、妹への言葉の応酬はますます意地悪くなっていたと思う。

どっちもどっちである。

 

その日、お雛様の前で私たちはそんな大ゲンカをした。

「お姉ちゃんなんか、いなくなっちゃえ!」のあとに言われた

お母さんだってお姉ちゃんのことなんか好きじゃない、というような言葉に

私は烈火のごとく怒り狂った。気にしていたことだったからだ。

 

そして、私は例の「ひなまつり」と書かれた冊子の表紙に

父の名と母の名、そして私の名を3つ並べて書いた。

妹こそいなくなれ!と思いながら。

 

私と妹は学年1つ違いの年子だったが

妹はまだ字が書けなかったのでやり返すことができず悔しがった。 

それを分かった上で意地悪をした私もまた幼かった。

字が書ける書けないといってた頃だから、

たぶんまだ一年生くらいだったと思う。

 

妹はあたりを切り裂くような高音でキーキービービーと泣き叫んだ。

それを聞いて、母がうるさーい!とヒステリックに怒鳴った。

私はざまあみろ、と思った。

 

腕の痛みも、頭皮の痛みも、忘れさせてくれるような爽快さだった。

 

 

*****

 

久しぶりの派手な姉妹ケンカと、

雛飾りが途中で放り出されたことに母はぐちぐちといつまでも怒り、

その晩、父が帰宅するなり言いつけた。

 

父は聞くや否や、いつものように瞬間噴火し

お前たち、ここに座りなさい!!!と

すっかりおさまっていた私たちを呼びつけ座らせた。

 

いつもの長い説教を一通り言い終えると

父は母に例のひなまつりの商品カタログと油性ペンを持ってこさせた。

 

私が書いた(妹以外の)家族3人の名のそばに、

太く力強い字で父・母・妹の三人だけの名を

もったいつけてゆっくりと、うやうやしく並べて書いた。

 

「よし!これでいい。メグミ、お前の名前は父さんが書いてやったぞ。

 どうだ、これでメグの気持ちがお前にもわかったろう?」

 

父は私にむかって満足げに言った。

本人は大岡越前のような気分だったに違いない。

 

怒られることはわかっていた。自分がしたことが意地悪だったということも。

だから、父はきっと怒りながら、ここに妹の名を追加すると思っていた。

 

3人分しか名前を書かなかった自分が悪いということはわかっていた。

でも、それが寂しかったからだと説明できるほどに私は大きくなかった。

 

どうして?どうして?

どうしてそんなひどいことするの?

怒るだけでいいじゃん。メグの名を書き足すだけでいいじゃん。

 

どうして、私抜きの家族を書くの?

どうして、父さんが書くの?

どうして、父さんは怒られないの?

どうして、そんな立派な字で書くの?

どうして、大切なお雛様に書くの?

 

私は胸がいっぱいになりながら、それを言葉にすることはできなかった。

 

私の書いた落書きのような、まだつたない文字。

妹以外の家族3人のなまえ。

 

そのそばで、私の文字を打ち消すように、あざわらうかのように、

私の名前抜きの家族3人の名が父の字でくっきりと刻まれていた。

お雛様の優しい写真のそばに。

 

妹は、父の手でかかれた

家族3人だけの名前を見て嬉しそうだった。

 

うなだれている私を見て、父も母も満足そうだった。

まるで悪いやつを成敗したかのように。

 

私はそのメデタシメデタシの中で、また言葉たちを飲み込んだ。

 

 

*****

 

それから、何度か春がめぐり、その冊子も

人形とともに毎年何もなかったかのように使われていた。

 

私は翌年から、それを見ずに飾りつけた。

 

私はその冊子を見るとつらくて、両方にそれぞれ名前を書き加え

どちらも4人家族の名前になるようにしようかと思ったこともあったが

それが出来ないほどに、見ると苦しかった。

 

それほどに父の書いた、迷いのない3人の名前は

私の気持ちを何度も何度もノックダウンさせた。

 

父も母も、その冊子の文字も何度か目にしているはずだが

一抹の違和感も感情のゆらぎも起きることはなかったのだろう、

その後もひな祭りのたびに広げられたその冊子の

表紙に記された文字に、私の名前が書き加えられることはなかった。

 

 

 

 

 

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