(つづき)
幼稚園の卒園アルバムの話が長くなってしまった。
時は小5。
そのアルバムを見てしまった少し前になるが
私が同級生のユミちゃんを真似てウサギのように
頭の上のほうでチョコンと髪を結ぼうとしたことがあった。
明星や平凡でアイドルたちがよくやっていた可愛いやつだ。
ユミちゃんに教わった東口商店街の店で、髪ゴムも100円で買った。
お母さん鏡を貸して!というと、母はいいわよと二つ返事。
昭和の昔ながらの三面鏡の、小さな椅子に座って
ちょっと大人になったような気持ちでブラシを使い、
両手で結ぶ位置を検討した。
そばに見に来た母は、
「それじゃあダメよ。貸しなさい」と言って
先ず串の後ろのとがったところでキレイに髪をわけ
それから左右均等に上のほうに二つ、可愛く結んでくれた。
そして 「ああ、でもこのゴムだとたぶん緩んできちゃうわね」と言って
確かその翌日に、長いゴムを買ってきてくれた。
私の買ったゴムは最初から輪ゴムのように円状の斜めストライプだったが、
母が買ってきてくれたものは黒の無地で長く、自分で切って使うものだった。
母がそのゴムで結わえてくれると、
学校へ行っても確かにちっとも緩んでこなかった。
ギュッツギュッツギュッと髪の周りに巻いていくように結んでいた様子を
三面鏡で眺めているのは楽しかった。
母はまもなく飽きて、「そろそろ自分でやりなさい」と言った。
私も、母の結び方はちょっときつくて午後には頭がひりひりしたので
コツもわかったし、やっぱり自分でやろうかな、と思い始めていた。
卒園アルバムを見てしまったのはそんな時だった。
私は自分のものと妹のものを元の場所へ仕舞い、見なかったことにした。
そして、その日から小学校卒業の直前までの約1年半、
ほぼ毎朝、母に髪を結ってもらうことになった。
なんで自分でやんないのよー、切っちゃえば?と何度か母は言ったが
だって自分じゃうまく出来ないんだもん、お金浮くしいいじゃん、と応えた。
母がどういう心持ちだったのかはわからない。
もしかしたら散髪代が浮くという理由だけで引き受けてくれていたのかもしれない。
でも、少なくとも幼稚園児を2人抱えていた頃と違って
母には時間の余裕があった。
社宅仲間と買い物にいそしんだり、あれこれ習い事をするくらい、ヒマだった。
母は母なりの渇きを抱いていたのかもしれない。
11才の私は単純に喜んだ。
ああ、お母さん、私の髪も結ってくれるんだ。
お姉ちゃんなんだからあんたは自分でやりなさいと言われないんだ。
三面鏡の前の数分間だけは、はじめて姉の私が母を独占できた。
母をためすように、毎日「お母さーん、髪おねがーい」とねだった。
私だって妹に生まれていたら、妹がいなかったら
もっと前からこうして髪の毛だって結ってもらえたんだ。
あの頃はお母さん、妹で忙しかっただけなんだ。
だから、今だけでいい。 お母さん、私のために髪を結って。
あのアルバムの中の汚くさみしい顔をした自分を忘れるように私は
痛くきつく結い上げられた、放課後まで乱れない髪を誇らしく思っていた。
私にとっては唯一といっていい、母との幸福な思い出だ。
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