父はよく、宿題や夏休みの課題を手伝いたがった。

 

『夏友』などは私が勝手にサクサク終わらせちゃうので

父が目をつけるのは、観察ものや図画工作だ。

 

でも、私は決して手伝わせなかった。

これは子供なりのプライドと、そして苦い思い出があったからだ。

 

父はきっと忘れていると思う。

母も妹も、誰も憶えていないはずの思い出だ。

 

私が小学校1年のとき、遠い昔のこと。

妹はまだ幼稚園の年長さんだった。

 

子供会か町内会かの主催で

絵画コンクールがあった。

どこかのおばさんの勧めで参加することになった。

幼かったのでコンクールの名前は憶えていない。

 

でも、小学校1年だったということだけは憶えている。

その一年間だけ私は絵が大嫌いだったから。

(それについてはまた日をあらためて・・)

 

父は勝手に私の絵のテーマを

「山を描いたらいいじゃないか(山をかきなさい)」と決めた。

気が進まない私が、どんな絵を描こうかなと

子供なりに考えていると、横から父があれやこれやと口を出し

画用紙の上に鉛筆で構図を勝手に描きいれてしまった。

 

ああ・・・と思った。 

どうして、やめてよ、と思ったが言葉にならない。

「絵ってのはなあ、お父さんもあんまり得意じゃなかったけどなあ

構図が大事なんだよ。構図ってわかるか?」

父はおかまいなしで話し続ける。

 

私は放心状態だ。

仕方なく、父の言うように、決められた場所に山を描き

決められたように家を描いた。

 

色を塗る頃には、私はもうどうでもよくなっていた。

やる気のない私に父はいら立ち、

「やり始めたんだからちゃんと最後まで仕上げちゃいなさい!」と

憤った。

私は泣くかわりに、筆あらいの水をこぼした。

 

父は、それをタオルでポンポンと上から拭きながら

「どうしてこう、根気のない子に育ったんだ」と母を責めた。

 

そして父は、お前手伝いなさいと母に指示し、

その絵は両親の手によって仕上げられた。

 

私は山と家の一部を描き、山の色を少し塗っただけだったが

仕上がった絵は、構図だけは同じで、全く違う絵になっていた。

私の塗った色は、別の色で塗り重ねられていた。

 

子供心にも、大人がかいた絵みたい、と思った。

 

「私もおえかきしたーい!」と言って

画用紙をわけてもらった幼稚園児の妹は

その間に、いつもの

家族が手をつなぎ、左右に花を配した絵を描いていた。

 

両親は、私の名で自分たちが描いた絵を出品し

妹のその絵も出してやろう、と言って一緒に出品した。

 

そして、忘れた頃に

妹の落書きが優秀賞、私の絵は残念ながら佳作、

という知らせが入った。

このとき初めて佳作という言葉を知った。

 

小さな会議室のようなところで授賞式があった。

コンクールの話を持ってきたおばさんが

「おめでとう」と両親に

「お姉ちゃんは残念だったわね」と私に言った。

 

私は何も言えなかった。

”あなた、親に手伝ってもらったでしょ?”

と、言われているように感じたのは私の思い過ごしだったろうか。

でも、「あれはお父さんとお母さんが描きました」とは言えない。

両親は、よかったよかったと妹の受賞を喜んでいる。

 

黙っている私を見て、悔しがっていると思ったのか、

「そうそう、お姉ちゃんにもいいものあげるわね」

と、そのおばさんは言い、紙袋を手渡した。

 

あとで中を開けてみると、私の絵だった。

両親が描いた、私の名で出した絵だった。

 

帰路、ハレの日に両親がよく使っていた

神社のそばの、日本料理の店で夕食をたべた。

 

「(妹の絵は)子供らしい素直な表現がよかったんですって。

やっぱりねえ、子供にしか描けないものってあるのねえ」

と母は無邪気に笑った。

 

なぜ、それをあの大人たちの前で言ってくれなかったんだろうと

言葉にならないグチャグチャの気持ちを飲み込んだ。

私は目の前のご飯を美味しいねといって一生懸命に食べた。

 

幼い妹は、子供用のおわんによそわれた少しの茶碗蒸しを

小さなスプーンで満足そうに食べていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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