逆上がり、水泳、スキー。
自転車のほかにも父が張り切って教えようとしたものは
結局どれも上手くいかなかった。
自転車のように執拗な特訓を受けずにすんだのは
道具や場所が必要なものだったので
父自身が忙しさや飽きで放り出したからだ。
だが結局、逆上がりも水泳もスキーも
自然と友人たちとの遊びの中で覚えていった。
体得するきっかけはいつも、父以外のひとがくれた。
彼らの教えてくれるコツは的を射ており、
父が私に特訓と課して恐怖心だけを植え付けたスポーツはみな、
あっけないほど簡単に一日で体得できるものであった。
大人になった今はわかる。
父は圧倒的に、人にものを教えるセンスがなかった。
誰かにものを教えたい(指示したい)欲求とは裏腹に。
父の指導はただ横暴で抑圧的なだけで、
コツやロジックを教えないから
恐怖心や苦手意識だけが生まれてしまうのだ。
そして、本人の自由に”やらせてみる”という大らかさに欠けていた。
一挙手一投足、一から十まで自分の思ったとおりに
やれば成功するという、間違った管理欲のために。
好意的に考えれば、ばかばかしい【特訓】たちも、
父なりの育児参加・愛情表現だったのかもしれないが
そのどれもが、幼い私には苦痛でしかなかった。
そして、長女で実験をすませて関心を失った父は
妹のときには放任主義となり、
私はなぜ自分ばかりとどす黒い不満をため込んでいく。
私も妹に生まれたかった、
何百回、何千回、そう思ったかわからない。
父から逃れたかった。
けれど、そう自覚したのはもう少し大きくなってからだった。
逆らうこともできず、ただ、父が諦めてくれる日を待った。
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