初日、無事あいたようですね。

昨今のゴタゴタで、もういつ何がきてもおかしくないと、覚悟してながらも楽しみではあり…

 

と思っていたらすわっちの休演にびっくり。どないしたん?

気になるのが、公式にも発表されていなくて、大劇場を観劇されたかたの情報のみ。

2日目だけの休演なのか、2日目からの継続の休演なのかもわからず、そしてもう昨日今日の事ではない宝塚ですから、どうしてもお母さまのスクール出身の有愛さんや妹の一禾さんとの関連を勘ぐってしまったり。

休演自体よりも劇団の発表がないことが気になります。今までのこともあるので。

 

すわっちは親子2代でのベルばら、というのも楽しみでした。お母さまの諏訪アイさんは安奈先生の花組で、パリの下町の場面、ロザリーのお母さんが馬車に轢かれたと走りこんでくる少年と衛兵隊のジャンというお役でした。新人公演の役を調べてみたんですがわからなかった。

 

ベルばら50を完全に見逃していたのですが、その50年前のベルばらを観て沼にはまった身としては感慨深い思いはあります。

先日安奈先生のコンサートでご本人が「もう、レジェンドとか言われて…化石みたい」などと言われていましたが、いやいや、最初に観た衝撃が未だに続いているのは確か。今でも最初に出会った安奈先生のオスカルが、私にとっては永遠のオスカル様ですし。

 

時代も、世の中の情勢も大きく変わって50年。今の10代、20代くらいの若い方がどんな風にこの物語を見るのかなーとその辺りも興味があります。

50年前の初演の当時、池田理代子先生の漫画のファンから反対の声が多く上がっていたのは有名な話ですが、最初、演出をされた長谷川一夫さんも「王室の不倫の話を宝塚でやるのか」と躊躇されていたとか。

主役、トップはあくまで清廉潔白な正義の味方でなければならない、それこそ清く正しく美しくの宝塚で、と。それを見事にすみれ色に昇華した舞台、そんなドロドロした背景は一切感じさせず、ロココの花開く豪華な華やかな宮廷の場面、ドラマチックな展開に引き込まれていたものでした。

今でこそ、ヒール的なキャラクターやどうしようもない女ったらしみたいな主人公が登場しますが、これもまた時代の変化なのかなぁと思います。エル・アルコンとかカサノヴァとか。

 

世の中の変化として、オスカルの男装の麗人という見方も。

池田理代子先生のベルばらに続く作品でオルフェウスの窓、植田紳爾先生はこれもシリーズ化したかったみたいですが(上演されたのがイザーク編、続いてユリウス編やクラウス編も作りたかったみたい)ここに登場するユリウスが同じく男の子として育てられた女の子、でしたが、オスカルが比較的自分の境遇を受け容れていたのに対して、ユリウスは男の子として生きることには否定的な描かれ方でした。そういえば木原敏江先生のとりかえばや異聞が原作の紫子もそうでしたね。当時はかなり特異的な見方をしていたような気がするのですが、今、社会の中でもLGBDsの人たちが存在して社会的にも認知が広がってきている状態で見るオスカルって、当時ほどのインパクトが薄れてきているかなぁと思います。

普通に女性の感情と男性の感情の間での行き来が心の揺れだったりアンドレに対する思いの変化だったりで表現されていくのかなぁ。二人の恋愛感情がもう、普通に恋人同士みたいな、当時ほどの障壁の高さを感じなくなっています。

 

 

50年前のベルばらブームのすごさって、紅白には出るわ徹夜組は当たり前にでるわ、今でいう会の大まかな集団ができ始めたのもこの頃だったような気がします。

 

ベルばらの時代、言わずと知れたフランス革命、西洋史の中だけでなく、大学時代に思想史の先生が仰ったのが、世界の歴史の折り返し地点、それこそ世の中をひっくり返すような事だった、と。国という概念が根こそぎ潰された、その思想のもととなったモンテスキューやJ・Jルソー。ストーリーの中にも出てきますが、確かに。

私が大学時代に、一番はまり込んだ哲学書、というか思想に関する書物がルソーの「エミール」だったんです。政治や国家の話ではなく、子どもの生き方的なところからの著述ですが、現代にも通じるような考えを250年以上も前に明らかにし、それが現代の民主主義のスタートとなった、ベルばらの中ではあまり政治的な問題って前面には出ないですが、そんな激動の時代に翻弄された人々、と思ってみると、結末やその人々の心情もですが、懸命に何かを乗り越えようとする人間のエネルギーが、これだけの人を引き付ける原因だったのではと、思うようになりました。

 

余談ですが、そのブームの終わりころが高校生。高校の世界史の先生が定期テストの出題範囲を「フランス革命は出さない。出さんでも皆知ってるやろ」とすっ飛ばされた。せっかくここで点数稼ごうと思っていた人が大多数w。すごいブーイングでした。それぐらい浸透していたんです。

 

当時と違って今は、宝塚以外にも、エンターテイメントの場は多く、ミュージカルや舞台を志す道も芸能スクールだけでなく大学のカリキュラムもあったり、またメディアなどの媒体も複雑化してきています。そんな中で、もう古典的な作品になりつつあるベルばらが、宝塚の中での位置も含めどうなっていくのか、作品を見て楽しむのと同時に観ていきたいと思います。