上智大学名誉教授だったアルフォンスデーケン先生。

 

大学こそ違うものの私の哲学の恩師です。

 

東京生と死を考える会で、随分身近にお話もさせていただき、心の支え、道標のような存在でした。

死、とか命というものに向き合うことが大切であることではあるけれど、実はとってもシンプルなこと。

 

生命とは、存在とはという究極の果てし無い問いに向き合うことだけでなく、様々な事を考えるきっかけになった先生です。

 

年が明けてから起こっている事をみるにつけ、ふとデーケン先生を思い出しました。

先生ご自身はドイツの少年時代、戦時中に反ナチの活動をされていたり、ニューヨーク同時多発テロの時には偶然現地の病院を視察に訪れていた。日本でお留守番組だった先生の関係者や私もそうでしたが、いらっしゃる場所が分かっているだけに、不安と心配と。帰国されてから、そのときの状況をお聞きしてた時に、いつもはニコニコと微笑んでいらっしゃる先生の初めて見た寂しそうな遠い目。その後くらいからでしょうか、今まで近しい人にもほとんど話されることがなかった、ドイツの青年時代の話を私たちにもしてくださるようになっていました。反ナチの活動というよりは、戦争で起こりうる悲劇を目の当たりにした体験が、先生の進まれる道を作ったのは想像に難くない。

 

カソリックの司祭さまで、日本の二十六聖人のルドビコ茨木に感銘を受け、日本での活動を希望され来日された、それ以来日本を愛し日本で「ホネをうずめるんだよ」とニコニコ仰ってました。初めてお目にかかる時に、ドイツ人と聞いて日本語通じるのかしら?と不安に思っていたら、もうダジャレ連発の流暢な日本語で爆  笑

そんな先生のお好きな歌の一つが「リリーマルレーン」私は日本語の歌詞しか知らなかったんですが、ある日ドイツ語の歌詞が手に入ったんです。よしっと思った頃に先生がしばらくドイツに戻られることになりました。

「先生がまた、日本に戻ってこられる時までに、ドイツ語で歌えるように練習しておきまーす」なんて言いながら、そのまま先生に聞いていただく機会は結局おとずれませんでした。

勉強会の最後にはみんなで「ユーアーマイサンシャイン」を歌うのですが、いつもピアノ伴奏に指名していただくのが、とっても嬉しかった。もうバイエルレベルなハッタリな伴奏でしたがタラーあれからキーボードもほとんど触らなくなってしまいました。

いつかイグナチオ教会の先生のお廟に会いに行きたいです。

 

今日は神戸の震災の日

 

自分の周りでも半分以上が被災、私も部屋中がひっくり返っていました。知人や宝塚のファン友さん、家族の会社の同僚や親せきやと、亡くなった人も多くて、一体自分はどっちに足を向けて寝ればいいんだと思ったくらい。

神戸の震災を機に携帯電話、バッグパックが一気に日常生活に入って来ました。私が携帯を初めて持ったのも震災のボランティアで持たされたのが初めて。だけど電話がかかってきたらどこをどうやって喋ったらいいのか、まったく分からずw。重さも今の数倍くらいあったんですよね。10分も持ってられないくらい笑い泣き

医療拠点となった小学校には、日本全国の様々なナンバーの救急車や消防車が集まっていました。

 

今日は朝から神戸の震災の関連ニュースが多いです。去年より多い。おそらく能登の震災もあって改めて思い起こしたことも多いです。

当時、随分励まされたり助けられたり、勤務していた病院でも被災された人を受け容れてましたし、自宅では神戸の親戚が3時間かけてお風呂に入りにきたりしていました。

阪神淡路大震災のあとも中越地震、東日本大震災、熊本地震、北海道の地震、大阪北部地震、震災以外でも御岳山や三原山の噴火、台風19号の鬼怒川大水害。思い出すだけでも次から次へと。

常に何かの自然災害と向き合っているこの国。

 

考えてみると、海外から聞こえてくるニュースはウクライナやガザの紛争、北朝鮮や中国、ロシアの問題。

人間同士の争いのことばかりで、その中での私たち。人間同士争っていることの無意味さ、人って協調協力してこその社会を一番知っているのが自然災害に対峙し続ける私たちなんだろうかと思ったりもします。

そこから、生きる事、命のことを考えると、前を向くヒントがどこかにきっとある。

デーケン先生が中心になって活動していた頃とは、命の問題って随分変わってきたような気がします。

命というより、自分のアイデンティティが今回、大きな課題になるのではないでしょうか。

神戸の時も、大好きな街だったり憧れの場所だったりのショックが大きかった。能登の被災された方たちの報道を見ていると、自分の住む場所、居場所といったものが避難、被災の生活の中で大きなものになっている気がします。

 

 

今年は、来週月組さん遠征なので、夜数年ぶりのルミナリエに行ってきます。

思いを持ち続ける、そして自分ができる応援は続けて、

金沢に早く行きたいな。

 

デーケン先生はこの日本をどんな思いで見ていらっしゃるんだろう。