奈良に住んでいる方、特に平城宮跡近くに住んでいる方だと、ご存知の方いると思うのですが
平城宮跡の南東部辺り
阪奈道路から奈良公園に続く一本道の脇に、かつてそごう百貨店が建設されました、
その工事現場、事前の発掘調査でぞろぞろと多量の遺構が発見され、長屋王の広大な邸宅跡だということが判明しました
奈良という土地柄、よく冗談で
「掘ったら何かでてくる」なんて言いますが、私自身も中学生辺りからこの発掘調査にはまっていた一時期ありまして、古事記の編纂をした太安万侶のお墓が発見されたとか、「あかねさす紫の花」の舞台となった飛鳥板蓋宮跡が発掘され大津皇子の名前が記された木簡が出たとか、それっとばかりに見学に行ってましたもん
長屋王の邸宅が発見されたときは、おりしも雪組公演で確か、沙羅けいさんが長屋王の役をされていて、取材が来たなんてこともありました
聖武天皇の時代に、ともすれば皇位を継承できるかという地位と血統と手腕
反対勢力の藤原氏に謀反の罪を着せられ自害したといわれ、歴史上でも「長屋王の変」として出ていますが、この後この藤原4兄弟が続けざまに天然痘で亡くなったりその後も、祟りなのかといわれる事件が続いた、長屋王の呪いと語り継がれていました。
そしてこの邸宅が発見されたのが昭和60年代に入って。
地元の人や歴史の関係者からの要望にもかかわらず、ロクな供養もせずその遺構は工事によって破壊されたそうです。
数年後、そごうは倒産、西武の傘下に入り何とか細々と生き残っていますが、この奈良そごうはあっという間にイトーヨーカ堂に。私、知らなかったのですが西武そごう自体がセブン&アイHDの傘下に更に入っていたんですね。
でもこれも数年でとん挫したのか、今は別のショッピングセンターになっています。
「長屋王をちゃんと供養せーへんかったからや」
「ちゃんと遺跡として残さんかったせーや」
と言われたのが現代版、「長屋王の呪い」
今は敷地内に、なんとか邸宅跡を示す記念碑が置かれています。
でも、長屋王の怒りはまだ収まってなかったのかしら…
と思った今回の西武そごうの海外資本の売却のニュース
そごうといえば子どもの頃は老舗の百貨店の一つでした。
大阪には心斎橋に大丸と肩を並べて重厚なつくりの心斎橋店がありましたし、東京に来てからも錦糸町にもそごうはあった。私たちが引っ越して数日で閉店してしまいましたが
以前はディズニーランドのスモールワールドのスポンサーにもなっていたんですよね。
あちこちのそごうが百貨店業界の衰退もあって、次々なくなっていくのを見て
あ~あ、と思ってしまう。
もう一つ気になることがあります。
この長屋王邸宅は平城旧跡の南東部にありますが、最近になって次々復元されている平城京の建造物
大極殿には長屋王の筆跡で門の札が掲げられています。邸宅跡とこの平城京の朱雀門をつなぐルート
その延長線上の北西部に近鉄西大寺駅。数メートルの誤差はあるものの
安部元総理の銃撃された場所 になっています。