2012年から海外在住のBJママです。

 2020年からのコロナ禍、

その時期、思春期を過ごしたティーンズは全世界的にメンタルの不調が起きていてると言われていますが、もれなく我が家の娘も摂食障害になりました。


怒涛の1年間のことはこちらに↓


苦しいのは誰なのか

摂食障害は本人が一番辛いものです。

それは重々承知で、


本人が命をはった抵抗をしてくる訳ですから、

その真髄をわかってやれない、

どうしていいかわからない周囲の家族も辛いもの。


治してみせるという意気込み、

治ると言われるけど希望の先の不安、

本人次第だという諦め、

精神年齢の成長、


闘病者本人にしかわからない葛藤は

たくさんあって、


知ってもらいたいこと、

言いたく無いこと、

ドロドロした気持ち、

親だからという期待と諦め、

自分のしていることへの責任と放棄、


当の本人は0か100みたいな判断基準になっていて

今の社会を生きることって難しいことです。


私が同じ世代の時、

悶々とした気持ちを通り抜け一線をはみ出さず、

自分とはというものを築き上げてきた。


これを同じように子どもに求めるのは、

押し付けであって、

本人の本来の意思決定ではなくなっている。


だから、苦しい。


摂食障害は親子関係だと今でも言われ、

一生の十字架を背負ったこと

私は認識しています。


ごめんね、娘よ。


1番苦しいのはあなただけど

ママも苦しい。


自分の苦しさは自分の言葉で表現するしか無い。


だから、

私はあなたの代弁者にはなれない、

自分で自分なりの解決策を見つけて行くしか無いのだよ。


と距離を取ることで、


気持ちを吐き出す場所にしていきたいと

このブログを書いていこうと思います。





娘が小さい頃

娘は双子で、次女に当たります。

長女が怖がりでママから離れないタイプだった分、物覚えがよく行動力がある次女は、

私が手をかけられない分、

1人で行動をしつつみんなに認めてもらえるのを

喜んでいるようでした。


幼稚園や小学校低学年は優等生で、

正義感が強く先生の言いつけをしっかり守るので、

彼女なりに充実した学校生活を

楽しんでいたと思います。


長女は同じ私立小学校に受かったものの、

先回りして行動が起こせるタイプでは無かったので、授業についていくのがやっと、


先生にもよく呼び出されていたし、

お友達も悪さ(いじめでは無いけれど、

できない子を見え無い所で意地悪をする)をするような所も見かけたので、

あえて私はPTAの活動に加わって学校に週1-2回は通う生活をしていました。


親としては、

両極端な娘たちにとって、

安全な学校環境にしてあげたかったし、

人任せにしたくなかったというのもあります。


ただ、

娘たちが困らないように、

親が守り過ぎていたのかもしれません。



渡米することの意味

小3の時、

主人の夢を叶えるため渡米することになりました。


これは夫婦で何年も前から用意した計画で、

娘たちも当初きっと旅行に行くくらいの

気持ちだっと思います。


小3の現地校に通いますが

案の定、言語の壁にぶち当たるわけです。


勉強の内容が難しい訳では無いのです、

コミュニケーションが取れないこと、


これが一番の問題。


8-9歳の女子にとって

おしゃべりが世界の全てな訳ですから、

学校ではポツンと孤立しがちでした。


週末、家族と色々な所に行けるのがいいのですが、

月曜日、学校に行きたく無い、

→朝起きれない→引っ張って連れて行くの

繰り返しを2年間続けていました。


子どもたちは幼稚園の時からの方針で、

子供達は別のクラスで授業をとっていたのです。


個々の個性を伸ばせるようにと。


双子だから家に帰れば、

お互い日本語で喋れるからいいでしょう?

と言われた時もありました。


日本人の多い地域、

アパートではあったので、

確かに日本語に困った訳ではないのです。


親としては、

早く現地の生活に馴染んでほしいと思い

現地の子どもとプレイデートやイベントに積極的に参加させてしまっていました。



アイデンティティを形成する時期

親が自分の母国語、

文化でない地域で育つ子どものことを

サードカルチャーキッズというそうです。


親の文化でも、

今住んでいる国の文化価値でもない

その子たちにしか理解できない文化を体験している子どもたち、


我が子の場合、

日本人の親の元で育だっているので、

アイデンティティはもちろん日本よりになるんだと思いますが、

どちらかが日本人でない場合は

もっと複雑でしょう。


日本人らしく右向け右と言われれば従い、

評価が出ることを好んだ次女は、

日本で築きはじめていた自分のアイデンティティをアメリカの地では

ことごとく覆されたんだと思います。


その反対で、

長女は自分の得意なことを

自分のペースでできること、

ちょっとしたテストのミスも大目に見てくれる

この文化を大好きになって行ったというのが

 事実でした。



​家族でいること

当初2年間、アメリカ生活する予定でした。

VISAがそこまでしかなかったので…。


なので、

小5で戻り、子どもの学力も落ちていなければ、

英語力の向上を使って、

中学受験の波に乗っていけると

いうつもりでいました。


だから日本の勉強も、

英語の勉強もかなりの負担でやらせていた

ことになります。


しかしながら、

(まあいいことではあったのですが)

主人の仕事の3年間の延長が決ったのです。


この時、今振り返ると

私のモチベーションも

娘たちのモチベーションも

ストップしてしまったのは事実でしした。


それでも子供はまだ小学生ですし、

家族で一緒にいるのが一番いい。

それはわかっているんです。


中学受験を高校受験に切り替える術、

私のキャリアの中断、

それを踏まえた残り3年のアメリカ生活を

どうシフトして行くか…。


そればかり考えて、

娘たちの気持ちなんて

見てあげていいなかったんだなぁと

今になって反省してています。


私は日本に帰りたい、

帰りたいと言っていて

繊細な次女は

自分にもあるその気持ちを

私の分まで背負ってくれてしまったんでしょう。