私は、今日2024年4月18日(木)甲状腺低下症橋本病と、癌の宣告を受けた。
積み上げてきたものが全て崩れ去るあの時の衝撃は、今でも忘れない
翌日の細胞診から、翌週2023年4月26日(金)乳頭癌とリンパ節の転移を確定された。
私は呆然と立ち尽くしていた
私は、今年2月にインフルエンザにかかって以来、胸が痛くて、動悸や脈拍の高さに苦しんでいて、いろんな検査を受けてきた。
なんなら、去年2023年4月から、左の歯の中の神経が痛くなったり、半身の痺れがあったり、左の耳管解放症の診断をくだったりとすべて左側に何かが起きていた。
それがゆえ、昨年4月には頭のMRIをとったり、昨年10月にもMRIをとったりしてきたが原因不明であった。
すべてのピースが繋がったのだ。
では、なぜこんなことになってしまったのか。。
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時は遡り8年前、私は25歳にして夢にまで見た妊娠をした。
19歳の頃、薬物に手を出している当時の彼氏との子供を授かり中絶していた私は、こんなにも夢に見たことはないほどの喜びを実感していた。
結婚を考えた好きな人との子供。
こんなにも幸せなことはない。
しかし、同じタイミングで、私はずっと夢みていた仕事が受かってしまった。
話し合いの末、、、
…私は、彼との子供よりも仕事を選んだのだ
しかし、いろいろあり退職。
最低だが、子供よりも仕事を選んだくせに、やり切ることすらできなかったのだ。
しかし、その後もその彼はそばにいてくれた
翌年、結婚。
結婚式をハワイで親族で挙げて写真も撮った
こっちに帰ってきた途端
彼の不祥事が発覚
それも何年にも渡り、騙されていたことを知ったが、話し合いをしようと思い色々と試した
しかし、恋人期間含めて5年も一緒にいたはずなのに、話し合いすらできない旦那の姿勢にうんざりし
、私は絶望した
そこから1年後別居
その後話し合いを儲かるが逃げられ、話し合わないままに離婚。
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実は、中絶してからというもの、旦那は気まずかったらしく、新婚であるにも関わらず1年以上セックスレスであった。
話し合いもしたが、逃げられてきた。
家族としてみれば彼のことは大好きで、こんなにも認めてくれる人はいないと信じていた
でも、不祥事から愛されていないことがわかり、
私はこの時まだ28歳。
愛してくれる人とやり直そうと頭をよぎったが、
本当は踏み切れていなかった。
ちょうど同時期に、周りも離婚が勃発。
私は、その運命の歯車に乗ってしまった。
そんなことから、なぜ私は離婚してしまったのだろう、、
なぜ自分でしっかり選択をせず、周りや状況に流されたのだろう、、
なぜ話し合いもせず離婚してしまったのだろう
あんなにも大好きだったのに
なぜ私は愛されていなかったのだろう
あの時子供を下ろしていなければ、、!
と、もう自分を許すことができなくなってしまったのだ。
ここから病気発覚までの5年間、自分を追い詰め続けることとなる。