まじで何を選んでも良い。 | 簡単に考える。

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人から見ると、かなりシンプルらしい私の思考の雑記。
いかに心穏やかにハッピーに暮らすかを主に考えて生きています。 物事を簡単に考えましょう。

 

今、用事で駅前まで歩いて行った帰り、自分の「感覚」が望んだように変わって来てるんだなあと、じーーんと来たので忘れないうちに。

 

歩いている時に向こうから70代くらいかなの男性とすれ違ったのです。

 

白髪のふんわりした髪のかたで、へんな話で申し訳ないですが、「カツラなのかな」と思ったのですよ。

 

私、カツラを見た時に複雑な気持ちになることがあって。

 

テレビなどでカツラを笑いのネタにしている人を「ダサいな」と思うし、一方で不自然なカツラの人と対面することがあればちょっとした緊張を感じることがあったり。

 

カツラをしている人は、なんらかの「ストレス」があるんじゃないかと、ごく自然に思ってしまっていたからだと思う。 

大きな大きなお世話なんですが。

 

 

そんな自分のことを今まで意識していたわけではないけど、今朝すれ違った男性を見て、一瞬「カツラかな」と思った後に、

 

「以前はカツラって大変そうって思ってたけど、普通に服を着たり好んでウイッグつけたりするのと一緒だよなあ」と心底思えて、自分のこの「なんでも良いよなあ」という感覚がめちゃくちゃ嬉しかった。

 

 

もしカツラで何か隠したいことがあっても、それはその人が選んでいることで、それも良いことだし、もし電車でカツラがずれている人が目の前にいたとしても気まずく感じなくて良くて、ボタン掛け違えて着てるのと同じような感じ。

 

それを「普通に」考えられている自分に気付いて、少し感動さえおぼえた。

 

20代の頃とか、何かあると長いこと悔んだり悩んだり、陰湿な気質が多かった自分は生きづらかったし、人の言動にすぐ「かちん」と来る自分も面倒くさかった。

 

なので「どっちでも良いことに、気が行かないひとになりたい」とずっと望んでいたら、色んなことに本当にそうなってきていて、今日もこの気づきが嬉しかった(笑)

 

 

しかもこの「どっちでも良いんだ」というのは、雑な感じではなく、自分にも他人にも優しい気持ちの状態だと思っていて、大変ほっとする「気分の良い」状態。

 

 

「こうなりたい」という大きな望みが叶っていることを発見した日。

自分に「何を選んでも良い」と許可が増えるたびに、他人のことも許可出来る。幸せになるばかり。