「心配」って否定のエネルギーだと思う。 | 簡単に考える。

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ご無沙汰してます(^^♪

 

毎日色々と面白い発見の日々を過ごしています。

 

 

最近、友人と会いましたら、家に帰って楽しかった気持ちが落ち着いて来たらモヤモヤしたものが心にあることに気が付きました。

 

 

理由はすぐにわかったのですが、友人が私をなんだか【心配】していることが、ずっと心に残っていたのです。

 

実際言葉でも言われました。

なんというか。。。。「ねえねえ、あなたの状態いま大丈夫?」っていう感じ。

 

 

わたしにしてみれば、「え??」という感じのことであり、「そんなこと言われてもなあ。。。」という内容のものでした。

 

 

 

私が何人かいる友人に会う時は、友人は私のことをかなり好きでいてくれているものと思ってます。

その日の友人も、もちろん私のことを「好き」でいてくれるのは、よくわかる。

 

わたしに「大丈夫?」と気遣ってくれるのも、心から優しく【心配】して言ってくれているのがわかるので、私は打ち返さずに(笑)黙っていました。

 

 

そもそも、私自身、言われた内容に痛みがなければ、今こうしてブログに書いていないので、私自身も「え、やっぱりそうなの?! でも、(私は思ってなかったので)そんなこと言われたら、悲しいなー」と思ったのが事実。

 

 

 

で、友人が【心配】してる内容ってね、別にその友人が何か助けてくれるわけでもないわけ(笑)

 

聞いてないけど、きっとアドバイスのアイディアもないと思う。 

それなのになにやら【親身になって心配】してくれてるんですよ。

 

 

 

それで家で私が静かに感じて思ったのは、

 

世の中の心配って、ほとんどがこれだなってこと。

 

 

どれだけ、本人が優しいつもりで言ったとしても、心配って所詮(相手にとって)なんの役にも立ってない。

 

 

 

なぜだろうと考えたら、心配ってそーーっとわからないように相手を「否定」しているって思ったから。

普通に考えてわかりますが、「あなた、今よくない状態ですよ。今のままだとだめだと思いますよ」っていう大きなメッセージを送っているんよね。

 

 

 

これ、本で読んだことも思い出したのですが、「心配」という「行為」をすると、心配「された人」じゃなくて、心配している側の人は、ちょっとエネルギー値が上がるそうです(笑)

※こわくないですか? (笑)

 

 

だから言いにくいことだけど。。。。人を心配する行為ってきっと、「本人、ちょっと気持ち良い」んだと思うんです。無意識レベルで。

 

 

実体験して、超納得。

わたし、エネルギー( = 元気)、下がったもん。

心配の行為をした人は、絶対ちょっと元気になってる(笑)

 

 

親に「心配」されている子って、こういうエネルギーなんだって、私は思った。

 

 

 

なんか色々わかってすっきりしています。ベル

 

 

 

で、「問題」は、私が友人から「心配されている内容」がもの凄く自分自身気になってしまって、どんどん嫌な気持ちが膨らんできたのですがドクロドクロ、それをどうしたか???

 

よく心理を勉強している人が書いているように「相手に伝える」というのは、私は個人的に、全くいいと思いません。キラキラ

 

 

たとえ「力尽く」だったとしても(やり方が強引でも)、私は自分の中のこととして、昇華しないと意味がないと思っているので、そして簡単に出来たので、次に書きますね。