自分が必死にこの競技に取り組む事って、自分にポッカリ空いた穴を埋めるためのような気がする。
弱い自分を隠す偶像をつくっているのか、寂しさや、虚しさを紛らそうとしてるのか。

やっぱり自分を振り払いたいのかなとも思う。

悩んでも、苦しんでも時間とやるべき事は淡々とやってくる。
息抜きなんて必要ないのかなとも錯覚する。

私情や、感情を無視した世界で常に疑問を感じれる人間でありたいな。
でも、淡々とやってくる時間に追い越されないように

やるべき事はon timeに、realに。
俺はイベントが多いねーと言われる。

確かに振り返ってみると「そうかも」と思う事がある。
しかし、実際にそのいわゆる「イベント中」には何か特別な事をしていたり、経験をしているつもりはない。

なんでそんなに厳しい環境に身を置くのかと聞かれる事があるけど、決してそういうつもりもない。
長期的計画から現状の自分を分析して課題を見つける。


見つかったらその課題解決のための行動をとる。
それが中期的目標となり、必然的に選択すべき方法になるから、7歳になったから学校に行かなくっちゃってのと同じ感覚なのになかなかそれを理解されない。


自分を魅せるためのイベントであったり、経験談としか思われない。
俺にとっては日常の出来事を話しているだけなのに、相手にとってはそうは思われない事だってあるみたい。


話が合わない事の方が多いし、同世代とは疎遠になっていった。
それも、どちらが悪いとかではなく、おそらくそういうものだろう。



人っていうのは62億ピースのパズルのようなもの。
自分のピースに合うのはほんの一部。
だけど、合わないパズルにいちいち嫌悪したりはしない。
無理にはめ込むと壊れちゃうし、何が悪いとかではなく、

合うものが出てくるまで探したり、待ったり。
ただそういうものとして作業するよね。



一つのピースには、限られたものしかくっつかないけど、全体を見渡すと、実は皆つながっている。
だから、悪いピースなんかなくて、どれも全体を支える大事な役割をもっている。



そう考えると今のそれぞれの人はきっとみえないところで色んな人とつながり支え合っているんだろう。っと考えるようにしている。


現に今、俺のよくわからない生い立ちや、複雑な状況にたいして「うん、うん」と話を聞いてくれたり、向き合おうとしてくれる人がいる。

これはすごく有り難いし、なにより自分とは違うカテゴリーで生活している人がそういう態度をとってくれることはなにより心休まる。

自分の話ばっかりしてごめんねーと思った。でも、自分の話をこんなにすることってなかったから正直自分でも今の自分を受け入れているのかも。

そういう今までの自分では見れないものを見せてくれる不思議な力をもった人がいるもんだな。
だから自分にもなにか出来る事を無理なくできたらいいなと思う。


このまま生活してたら見えないものを、意図的に転機を作り、見るということ。
これはもしかしたら人生のほんのわずかな時間で、ほんとにくだらないことかもしれないけど、少しだけプラスの「イベント」になればいいなと思っている。

このブログは紹介もしていないからほぼ自分の日記。
紹介なんかしてたらこんな事書かないか・・・・。

縁も縁もないだれかがこれをみて一瞬でも小さな小さなイベントになってくれたらいいと思う。
あとね、自分でちゃんと伝えなきゃね。。。

Joy and sorrow are today and tomorrow.

苦しみ抜いて逝きました。

体は3分の1くらいにまで痩せて、でも腹水で身体は腫れあがり、
痛み止めもきかない

どうしてこんな仕打ちをするのかこの人が何か悪いことをしたのかと心臓が抉られる思いだった。


呼吸が少なくなるにつれてほとんど見えない目を見開き、ベッドサイドの僕らの写真がある方向を向いている。

いつもいつもこの写真を眺めて嬉しそうにする光景を思い起こす。

さっきまで苦しみが嘘のように、静かに、安らかに、この世界とお別れをするかのように強い眼差しで逝きました。

いのちの尊さ、生きていくという温かさ。を文章では伝わりませんが強く感じた。


時間はいつもたんたんとやってくる。悲しみに浸ることも許されず時間は追い越していく。

しかし、前に進むってそういうこと。悲しみに浸っても、故人が悲しむだけ、何かを学び前進することで悲しい出来事だけではなくなる。


身体に気を付けてがんばれ。これが僕と彼の約束。


今まで、馬鹿正直に真っ直ぐに体当たりしてきた。
今後、僕がどんな馬鹿をやるか楽しみにしてて欲しい。


今は悲しみより、見ていて欲しいという気持ちになれた。


いのちを大切に、家族や仲間、人のこころを大切にしていきたい。