今年も残すところあとわずかになりましたね( ゚Д゚)

朝日リビングの坂本です!

 

会社は12月28日~1月4日まで冬季休暇を

頂きます(;´∀`)

 

年末年始は独身男連中で福島のいわき温泉に行く予定です!

その後は寝正月の予感がします、、、(;一_一)

 

~私の愛した英傑たち~vol.2 後編 前回の続き

 

第四次川中島の決戦にて啄木鳥戦法が

読まれてしまい、武田陣の目の前には上杉軍の

大群が現れてしまい、武田軍絶対絶命のピンチ(゚д゚)!

 

そして謙信自ら単騎、武田信玄の座す本陣へ切り込みを

掛けます!

馬上より名刀、小豆長光を信玄に向けて振り下ろしますΣ(゚Д゚)

それを間一髪のところで受け止める信玄!

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再度刀を振り下ろそうとする謙信ですが、信玄の親衛隊が謙信の馬に

槍を突き刺すと謙信はその場から撤退していきました、、、

 

そして武田軍にも好機が訪れます!

啄木鳥戦法で上杉軍を背後から攻めようとしていた別動隊が

本陣の異常を察知し、戻ってきたのです!

武田本陣も徐々に陣形を立て直し、本来の作戦の意図とは

変わってしまいましたが、挟撃に成功した武田軍!!

 

一転窮地に陥る上杉軍でしたが、戦の天才の謙信は引き際も

見事なもので早々に撤退を始めます、、、

 

武田軍も追い打ちをかけますが、深追いは禁物との

ことで軍を撤退させ第四次合戦も幕が下ります、、、

 

続く第五次合戦は両軍睨みあいで終わり、

以後は武田軍は東海道や美濃(岐阜県南部)

上野(群馬県)方面に勢力を拡大していき、

上杉軍は関東進出に注力して行った為、

武田、上杉の大きな戦がその後行われる

事はなかったのです。

 

その後、同盟関係にあった織田信長が時の

将軍 足利義昭と対立し、信玄含めた大名に

信長討伐の依頼を出します!

 

信玄も信長の勢力拡大を危険視していた為、

信長征伐を行うためにまずは遠江・三河(静岡、愛知東部)

へ進撃を行います!

 

僅か三ヶ月余りで5つの城を落す快進撃!

その中には徳川家康が大敗をした三方ヶ原の

戦いも含まれておりました((((;゚Д゚))))

 

そんな圧倒的な強さを誇る武田軍ですが、

その終わりはあっけなく訪れます、、、

 

信玄が体調を崩し、度々吐血するようになってしまいます。

(所説有りますが、結核や脳溢血だといわれております)

 

その体調を案じ、進軍を止め甲斐国にて療養するように

家臣団より言われ、帰路の途中で武田信玄は上洛の

夢を果たせずその生涯に幕を下ろします。享年53歳

 

信玄死亡は秘匿されておりましたが、急な武田軍撤退に

織田、徳川も武田軍に何かあったのでは?と疑い出します、

そして信玄死亡の情報が外部に漏れてしまい、

徳川はこれを好機と見て、奪われた遠江・三河を

取り戻すべく、兵を進めます、、、

 

そしてそれを食い止めるために織田・徳川連合軍と

信玄の後を任された勝頼(信玄の息子)は長篠城(愛知県新城市)

にて織田・徳川連合軍を迎え討ちますが、戦国最強の騎馬隊も

鉄砲という最新技術の前に大敗してしまい、主要な家臣を失った

武田軍はその後10年と経たずに滅亡してしまいます、、、

 

信玄が仮に生きていたとすれば、京都へ上洛し、信玄が足利幕府の

後に幕府を開き、天下統一を果たした可能性は非常に高く、

後の天下人の徳川家康も信玄の政策や考え方、兵法を真似する

為に武田軍の残党を積極的に味方に引き入れていったといいます。

 

信玄は「戦のつよさ、政治力、臣下からの信頼」すべてを兼ね備えた

まさに理想的な上司だったとも思われます。

 

信玄の有名な言葉に「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」

と人一人の命の消耗が今よりも圧倒的に高い時代において、全ては人次第と

いう国づくりをした武将だったのです(; ・`д・´)