9/5、名古屋“Roxx”で披露したノンフィクション小説、今日は日本では報道されていない“9/12以降”の出来事の体験談を。 



 『2001年9月12日以降』 


当初の予定では11日の夜、ヤンキースタジアムでヤンキース対ホワイトソックスの試合を観戦、翌日からは隣のニュージャージー州に移動してニューアーク空港でレンタカーを借り、僕の大好きなミュージシャン、ブルース・スプリングスティーン縁の地、アズベリーパーク等を巡り、ブルースの出身地のニュージャージー州フリーホールドのモーテルに宿泊する事になっていた。 


しかし、ニューアーク空港も閉鎖されレンタカーを借りる事は出来なくなった。 

マンハッタンは封鎖されていたはずなのに一体何故行けたのか未だに謎なのだがニューアークのアムトラックの駅までは行く事が出来た。 


ただ、駅にたどり着くだけが精一杯、その先に進む事は全く不可能であった。 

フリーホールドにたどり着けないことにはその晩の宿が無い。 

駅で思案に暮れていると外が騒がしくなった。 

見ると何台ものパトカーが集まってきている。 

ポリスもかなりの人数だ。 

そしてポリスは駅の中にいる人々に外に出るように促した。 


かなり緊迫した状況だ。 

駅前の通りの向こう側まで行けと言う。 

僕達は通りの向こう側から事の成り行きを見守った。 


どんどんパトカーは集まってくる。 

その中に“Bomb何とか”と書かれた車両がいた。

“爆発物処理隊”のようだ。

どうやらニューアークの駅に爆弾が仕掛けられているという事だったらしい。 


結果的にはデマで事は収まったのだがあたかも映画のパニックシーンさながらの緊張感だった。


騒ぎも収まったので僕達はニューアーク駅前にあったヒルトンホテルにその晩の宿を求めて入ってみた。 


しかし、ロビーにはまだ大勢のポリスやFBIの捜査官と思われる人達、更には警察犬までいるではないか。 

とてもゆっくり休める状態ではなさそうだ。 

僕達はニュージャージーは完全に諦めてマンハッタンに戻る事にした。 


マンハッタンではフリーホールドに2泊した後に更に2泊する予定でホテル・ペンシルバニアというマジソンスクエアガーデンの向かいにあるホテルを予約してあった。 

マジソンの地下にはペン・ステーションという駅がある。

ニューアークからはあっと言う間にたどり着く事が出来た。 


そのホテルに行ってみた。 

2日後の予約があるのだがその前延長で今夜から泊まれないか尋ねた。
空き部屋はある、OKだ。

僕達はその日から4日間、マンハッタンで過ごす事になった。 


部屋に入り荷ほどきをして街に出る事にした。 

多くの犠牲者を出したテロ攻撃を受けた翌日だ。 

ニューヨークの街は閑散と、しかし殺伐とした雰囲気もあり、異様な空気を漂わせていた。 


そんな街角で僕達は壁にチラシを貼っている少女を見かけた。 

チラシには少女のお父さんだろう、男性の顔写真。 

 “Missing Person”、帰って来ないお父さんを探して下さいというチラシを貼っているのだ。 


そんな光景はマンハッタンのあちこちで見られた。 

家族や恋人、行方のわからない
愛する人を探す人々
の後ろ姿に僕達は涙を流さずにはいられなかった。