今年、2025年は俺が“ライブハウス”で活動を始めて40周年の年だった。 


大学の軽音楽部に所属して、“学生バンド”として活動していたバンドで“ライブハウス”での活動を始めた。 


当時はまだ“ライブハウス”は誰でもが出演できるような生温い世界ではなかった。 


お店に“デモテープ”を聴いてもらい“テープ審査”を通過したバンドだけが“オーディションライブ”に出演できる。 


その“ライブ審査”を通って初めて“ブッキング”という形でその店に“出演バンド”として名を連ねる事が出来る。 


今のように“初心者”でも誰でもがお金を払いさえすれば無条件で簡単に出演者になれるような世界ではなかった。 


ともかく厳しい恐い世界だった。 


そんな世界に弱冠二十歳の“学生バンド”で飛び込んだ。 



それから色々な形態でライブハウスでの活動を続けてきた。


“バンド”、“ユニット”、今や一番長いのが“ソロ”。 


“ソロ”だと自分だけの都合で活動できるので“ツアー”が出来るというメリットがある。 


おかげで日本中いろいろな街のライブハウスで歌わせてもらった。 


日本のみならず、海外のライブハウスでも歌わせてもらったがこれはまたの機会に書く。 


この“ツアー”というやつも昔は一筋縄ではいかない厳しい手続きを踏まないと出れなかった。 


俺は“ツアー”を始めたのはさほど昔では無かったのでまだ多少は緩く受け入れてはもらえたがそれでも厳しい世界ではあった。 


これも今では誰でもが“県外ライブ”などと称して簡単に遠征が出来るのが何とも言い難い。 



また“昔は良かった”みたいな話しになり恐縮ではあるが昔は“ライブハウス”は厳しい世界であったが故にそこに対する“憧れ”があり、出演を“目標”に鍛練を重ねたものだ。


“ライブハウス”のステージは高くて輝かしい場所であった。 



はっきり言うが今や“自称ミュージシャン”の“趣味の発表会”の場としての“ライブハウス”が多いのは淋しい限りだ。 


俺がやってきた40年、時代は変わった。 


容易く受け入れ難くはあるが順応はしていかなくてはならないのだろう。 


たかが“ライブハウス”、されど“ライブハウス”