何気ない日々の中で、小さな変化に気付けるようになってきた最近。変わっていないように見える周りの世界も少しずつ変わっている。それに何よりも自分自身が日々年をとっていっているんだから、10年後、周りの景色は同じでも感じることは全く違うと思う。それが自然なことだ。じいちゃんはコロナにかかって入院していた。面会できない状況のためしばらく会っていなかった。しばらく会っていなかったのに、亡くなったら「もう会えないんだ」と空しい気持ちになった。会っていない状況は半年間くらい変わらないのに、会えないとわかると突然変化に気付く。以前、とてもお世話になっていた親戚のおばさんが若くして亡くなった時はとてもショックだった。ただじいちゃんは90歳も超えていたから亡くなることに対して疑問はない。今回亡くなったのは母方の祖父だが、父方の祖父母が亡くなった時に感じたことと同じことを想った。「これからは心の中でいつでも会えるね…」と。
4月に月の満ち欠けをトレーニングサイクルに取り入れたことをきっかけに月についてもっと知りたくなり調べるようになった。それから徐々に日々の生活にも月のサイクルを取り入れ、瞑想を通して自分と向き合うことが増えていった。じいちゃんがなくなってから瞑想を通してじいちゃんに話かけることが増えた。そうすると何とも不思議な感覚になった。もちろんじいちゃんと話しができているわけではないが、瞑想中にふと考えが思いついたり、その時は何もなくても日々の中で直感的にひらめくことが増えた。もしかしたら今までもひらめきはあったのかもしれないが、「無理無理」と聞き流していたのだと思う。だけれど、じいちゃんと話しをするようになって直感を信じてみようと思うようになった。なんとも不思議だけれど、そうすることで自分の人生を生きているんだけれど、今まで自分だけでは到底できなかったことができるような気がしている。