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田舎暮らしのケアワークアウターのブログ

自然が大好きで田舎へ移住♪◎日々お年寄りの笑顔のためケアワーカーとして働き、趣味のワークアウトを行うジムへ行くため、田園風景を眺めながら田舎と街の往復が日課◎人生のテーマは「思い立ったが吉日!」

 

 

 

 自然は偉大だ。田舎で暮らしているとそれを強く感じる。さっきまで快晴だったかと思えば、何となく湿っぽいにおいがしたと思えば、肌寒い風が吹き雨が降り出す。都会でもアスファルトのにおいで雨が降り出しそうなのは感じたが、自然の中では明らかに空気が変化するのを感じる。落ち葉がひらひらと舞い落ちていたと思ったら突然風がピタッと止み、空を見上げると雲がさっきと逆向きに流れていたり。雲が見る見る立ち昇り、青空を埋めて行ったり。きっと都会でも自然や空は変化していたんだと思うけれど、マンションの隙間から見える空や、公園にある申し訳程度の自然では気づくことができなかったことがたくさんある。
 今日仕事でミスをした。昔は失敗したことを悔やみ、そこから逃げることしか考えられなかった。最近は失敗から何らかの気付きを与えてくれると感じている。失敗がその後の人生に与える影響に比べれば、一瞬の痛みなんてたやすい。普段は基本自分のことが大好きなタイプだ。だけど、失敗すると少し自信を無くし、うまくできない自分に嫌気がさすが、いつかはまた自分が好きに戻ってる。成長するためには失敗を恐れて自分の世界にこもってはダメだ。だって独りじゃ失敗もできないんだから。

 

 

7月は夫婦で誕生日なので旅行に行くことが多い。今年は道東へ旅行へ来ている。北海道に住んでいるので、何度か道東には来ているが、こんなにきれいな摩周湖を見たのは初めてだ。天に届く道も一度は行ってみたかったので実際に車で走ってとても感動した。神の子池は以前一人で来たことがあり、とても神秘的な空気を感じたので久しぶりに行くことにした。今回の旅行で感じたことは、過去に行きたかった場所、将来行きたい場所、今行きたい場所。もしこの3つを選べるなら今行きたい場所に行くべきだということだ。過去に独りで行きたかった場所が、夫婦で行きたい場所であるとは限らないし、10年20年後に行きたい場所は体力の面でも今とは違うだろう。だから同じ地域の旅行に久しぶりに行っても、見える景色や感じることは全く違うと思う。それなら過去でも未来でもなく、今ピンとくる所に行けばいいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 何気ない日々の中で、小さな変化に気付けるようになってきた最近。変わっていないように見える周りの世界も少しずつ変わっている。それに何よりも自分自身が日々年をとっていっているんだから、10年後、周りの景色は同じでも感じることは全く違うと思う。それが自然なことだ。じいちゃんはコロナにかかって入院していた。面会できない状況のためしばらく会っていなかった。しばらく会っていなかったのに、亡くなったら「もう会えないんだ」と空しい気持ちになった。会っていない状況は半年間くらい変わらないのに、会えないとわかると突然変化に気付く。以前、とてもお世話になっていた親戚のおばさんが若くして亡くなった時はとてもショックだった。ただじいちゃんは90歳も超えていたから亡くなることに対して疑問はない。今回亡くなったのは母方の祖父だが、父方の祖父母が亡くなった時に感じたことと同じことを想った。「これからは心の中でいつでも会えるね…」と。

 4月に月の満ち欠けをトレーニングサイクルに取り入れたことをきっかけに月についてもっと知りたくなり調べるようになった。それから徐々に日々の生活にも月のサイクルを取り入れ、瞑想を通して自分と向き合うことが増えていった。じいちゃんがなくなってから瞑想を通してじいちゃんに話かけることが増えた。そうすると何とも不思議な感覚になった。もちろんじいちゃんと話しができているわけではないが、瞑想中にふと考えが思いついたり、その時は何もなくても日々の中で直感的にひらめくことが増えた。もしかしたら今までもひらめきはあったのかもしれないが、「無理無理」と聞き流していたのだと思う。だけれど、じいちゃんと話しをするようになって直感を信じてみようと思うようになった。なんとも不思議だけれど、そうすることで自分の人生を生きているんだけれど、今まで自分だけでは到底できなかったことができるような気がしている。