第2章:下克上の世
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春日山城に入った景虎には女中二人と南三の丸の隅の小さな屋敷を仮住まいにあてがわれた。世話役の女中二人はお春と花と言いお世辞にも美人とは言えなかったが越後女らしく芯が強く仕事が丁寧でまじめで虎千代はすぐに二人と打ち解けた。
嫁ぎ先は相変わらずはっきりしないままであった、不安定な越後の政情のため、嫁ぎ先が決まるまでの仮住まいのはずであったが思わぬ長居の雰囲気であった。
虎千代は晴景と初めて面会をして嫁ぎ先の話を直接する予定であったが晴景は体が元来弱く体調不良で寝込んでいることが多く 春日山城に来てから例の事件が起きるまで結局、虎千代は兄 晴景の顔を拝むことはなかった。
体調不良以外にも宴会のせいで寝込んでいるとの悪い噂も無きにあらずであったが・・
しかし平穏な日々は突如終止符を打つことになる。突然見ず知らずの土豪が率いる部隊がある日の夜半に春日山城に突然侵攻してきたのだった。土豪の兵にしては兵力が半端ではなく誰かが後ろで糸を引いているのは明らかであった。
守護代の兄晴景は完全に不意をつかれ反撃らしい反撃も出来ずにあっという間に春日山城に侵入を許してしまった。
典型的な夜襲であった。
虎千代は寝ぼけ眼で夜中にたたき起こされた。
世間知らずの箱庭育ちの虎千代には今何が起こっているのかわからなかった、が 暗闇のどこかで時々ぎらりと光る刀 鎧の武者がどこかで雄叫びをあげながら斬り合うにぶい金属の音 馬のいななぎがこだまして何かただならぬ事態がおこっているのだけははっきりわかった。
しばらくして金津新兵衛たちが屋敷に飛び込んできた。
「姫!ご無事でしたか!」
虎千代は少し引いてしまった、
太刀を振り回している新兵衛の姿を見たことがなかったからだ、ただそれだけ事態が切羽詰っているのは充分察することができた。
「間に合わんか・・」
新兵衛がうなった。
新兵衛の部下たちも相次いでやってきたが壁の向こうで既に戦いが始まっているようで叫び声やら刀がぶつかりあう音やらが絶え間なく聞こえてきた。
敵に完全に包囲されているようで脱出は至極困難のようだった。
「姫・・・ここに」
案内されたのは奥の倉の床下だった。
「ここに隠れて 絶対に物音は立てないで・・・必ず迎えに来ます・・!」
虎千代は床下に押し込められた。
床下は薄暗くカビ臭かったが耐え忍ぶしかなかった。
虎千代が潜り込んでからしばらくして 頭の上では人が走り回る大きな音や刀のぶつかり合う鋭い金属音 雄叫びが聞こえはじめた。
竹千代は耳を塞ぎ天室光育から頂戴した毘沙門天を震えながら握り締め祈るしかなかった。
(毘沙門天様 ご加護を・・)
虎千代はひたすら祈った。
どれくらい時間が経っただろう、静かになってからしばらくして再度 忍び足の足音がこちらに近づいてくるのが分かった。
(賊兵だったらどうしよう・・・)
いやな思いが頭をよぎった、
急に光が差し込んできた、
「姫・・ご無事で・・」
助けに来てくれたのは新兵衛の部隊の腕利きの秋山源蔵と言った。
虎千代はようやくカビ臭い床下から解放された。
「・・残念ながらお城は落ちたようで・・連中は春日山城で祝宴をあげているようです・・連中が油断している今のうちに脱出しましょう・・・」
辺りは徐々に明るくなりかけていた。
壁には飛び散った血や 庭や部屋の奥に人が人形のように倒れて動かなくなっているのが見えたが目をそらし見ないようにした。
用意された馬の背中に飛び乗ると馬は全速力で疾走を開始した。
どれくらい走っただろうか いつの間にか夜は明けて朝の太陽がまぶしかった。
今まで朝日は何度も見てきたが今日の朝日ほど生きていることを実感させてくれる朝日は初めてであった。
出るときには気が付かなかったが部隊は虎千代を含めて3人だけと言う小規模なものだった。
3人しか脱出できなったというのが正直なとこだろうが・・
もう一人の男は戸倉与八郎と言った。
新兵衛とは途中まで一緒だったが 戦の最中に離れてしまい安否は不明という。
「新兵衛が・・・」
虎千代は肩を落とした。
生き残った者は守護代晴景に以前より協力的な 栃尾城の本庄実乃の元に、別個向かうよう指示が出ているとのことだった。
春日山城だけでなく林泉寺や母の虎午前の住む屋敷にも賊軍が侵入しているとのことだった。天室光育和尚や虎午前の安否は不明と言う。虎千代は言葉が出なかった。
戦に負けること いや巻き込まれることの惨めさと悲しさを身にしみて感じた。
しばらくすると前方に小さな集落が見えてきた。
戸倉が提案した。
「馬を休めましょう・・ 我々も少し休みましょう・・」
馬を止めると戸倉が物見に集落に一人で入っていった、しばらくして合図があり3人は集落に入った。
どの家も固く扉が閉ざされていたが人の気配はした。
みな家の奥に隠れて成り行きを息を殺して見ているようであった。
人の姿は見えないが視線を感じた。
一行は井戸の側に移動して馬も人もしばらく休憩した。
(ぐーつ)
虎千代はこんなときであったが お腹を鳴らせてしまった。
「・・・」
恥ずかしかったが昨晩より何もたべていないのでこればかりは仕方が無い。
しかも寝間着で逃げていたので日があたっているといえ少し寒い、
恐怖が残っているのもあったが寒さで少し手が震えてきた。
「・・・何か取ってきましょうか?」
気を利かせて戸倉が言った。
「・・・店など無いが・・・」
虎千代は返事をした。
戸倉は一瞬あっけに取られていたがすぐに源蔵が説明してくれた。
「ちょっとだけの狼藉でございます・・生きるためであります・・ご理解を・・・」
「・・私は大丈夫だ・・狼藉などしなくて良い・・」
虎千代はしっかり言った。
この時代の兵士にとって狼藉は生きることのため誰もがやっていることであった。有名大名の記録にもその旨が残っている、この時代には兵隊としては至極当然の行為であったが育ちの良い虎千代は現実の世間を知らなかっただけである。
戸倉は少し不満そうであったがそれ以上は何も言わなかった。
逆に源蔵は少し驚いたような感心しているような複雑な表情を見せた。
井戸の近くに腰掛 人馬共に喉の渇きを癒した。
15分ほどの休憩だったがあっという間に感じた。
疲れているせいか誰も一言も発しなかった。
一行は再度出発するために黙って立ち上がった。
そのとき 突然音がして集落の一軒の扉が開いて老人がこちらを伺うと、手に何かを持ってこちらに向かってきた。
源蔵 戸倉 は一瞬身構えたがすぐに落ち着いた。
老人の手には握り飯があった。
他の集落の家の扉もいつのまにか順番にゆっくり開いて中からそっと顔を出し みな覗き込むようにこちらの成り行きを見守っていた。
一行が狼狽を働かなかったので安心したのだろう。
老人は村長の五郎兵衛と名乗った。
そして虎千代たちに 握り飯を差し出した。
腹が鳴ったのを聞かれたのかと思い 少々気恥ずかしかったが素直に受け取った。
「ありがとう・・・」
虎千代は答えた。
老人は言った。
「・・驚いた・・姫君を連れていたので追い剥ぎでは無いかとは思ってはいたが・・何があったんじゃ・・?」
「戦じゃ・・・春日山城が落城した・・」
源蔵がため息交じりに答えた。
老人も深くため息をついた。
「また戦か・・・こんな世の中じゃから仕方ないが・・迷惑被るのはいつもワシらじゃ・・全く 越後はいつまでたっても争いばっかりしておるのう・・」
虎千代は黙っていた。
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春日山城に入った景虎には女中二人と南三の丸の隅の小さな屋敷を仮住まいにあてがわれた。世話役の女中二人はお春と花と言いお世辞にも美人とは言えなかったが越後女らしく芯が強く仕事が丁寧でまじめで虎千代はすぐに二人と打ち解けた。
嫁ぎ先は相変わらずはっきりしないままであった、不安定な越後の政情のため、嫁ぎ先が決まるまでの仮住まいのはずであったが思わぬ長居の雰囲気であった。
虎千代は晴景と初めて面会をして嫁ぎ先の話を直接する予定であったが晴景は体が元来弱く体調不良で寝込んでいることが多く 春日山城に来てから例の事件が起きるまで結局、虎千代は兄 晴景の顔を拝むことはなかった。
体調不良以外にも宴会のせいで寝込んでいるとの悪い噂も無きにあらずであったが・・
しかし平穏な日々は突如終止符を打つことになる。突然見ず知らずの土豪が率いる部隊がある日の夜半に春日山城に突然侵攻してきたのだった。土豪の兵にしては兵力が半端ではなく誰かが後ろで糸を引いているのは明らかであった。
守護代の兄晴景は完全に不意をつかれ反撃らしい反撃も出来ずにあっという間に春日山城に侵入を許してしまった。
典型的な夜襲であった。
虎千代は寝ぼけ眼で夜中にたたき起こされた。
世間知らずの箱庭育ちの虎千代には今何が起こっているのかわからなかった、が 暗闇のどこかで時々ぎらりと光る刀 鎧の武者がどこかで雄叫びをあげながら斬り合うにぶい金属の音 馬のいななぎがこだまして何かただならぬ事態がおこっているのだけははっきりわかった。
しばらくして金津新兵衛たちが屋敷に飛び込んできた。
「姫!ご無事でしたか!」
虎千代は少し引いてしまった、
太刀を振り回している新兵衛の姿を見たことがなかったからだ、ただそれだけ事態が切羽詰っているのは充分察することができた。
「間に合わんか・・」
新兵衛がうなった。
新兵衛の部下たちも相次いでやってきたが壁の向こうで既に戦いが始まっているようで叫び声やら刀がぶつかりあう音やらが絶え間なく聞こえてきた。
敵に完全に包囲されているようで脱出は至極困難のようだった。
「姫・・・ここに」
案内されたのは奥の倉の床下だった。
「ここに隠れて 絶対に物音は立てないで・・・必ず迎えに来ます・・!」
虎千代は床下に押し込められた。
床下は薄暗くカビ臭かったが耐え忍ぶしかなかった。
虎千代が潜り込んでからしばらくして 頭の上では人が走り回る大きな音や刀のぶつかり合う鋭い金属音 雄叫びが聞こえはじめた。
竹千代は耳を塞ぎ天室光育から頂戴した毘沙門天を震えながら握り締め祈るしかなかった。
(毘沙門天様 ご加護を・・)
虎千代はひたすら祈った。
どれくらい時間が経っただろう、静かになってからしばらくして再度 忍び足の足音がこちらに近づいてくるのが分かった。
(賊兵だったらどうしよう・・・)
いやな思いが頭をよぎった、
急に光が差し込んできた、
「姫・・ご無事で・・」
助けに来てくれたのは新兵衛の部隊の腕利きの秋山源蔵と言った。
虎千代はようやくカビ臭い床下から解放された。
「・・残念ながらお城は落ちたようで・・連中は春日山城で祝宴をあげているようです・・連中が油断している今のうちに脱出しましょう・・・」
辺りは徐々に明るくなりかけていた。
壁には飛び散った血や 庭や部屋の奥に人が人形のように倒れて動かなくなっているのが見えたが目をそらし見ないようにした。
用意された馬の背中に飛び乗ると馬は全速力で疾走を開始した。
どれくらい走っただろうか いつの間にか夜は明けて朝の太陽がまぶしかった。
今まで朝日は何度も見てきたが今日の朝日ほど生きていることを実感させてくれる朝日は初めてであった。
出るときには気が付かなかったが部隊は虎千代を含めて3人だけと言う小規模なものだった。
3人しか脱出できなったというのが正直なとこだろうが・・
もう一人の男は戸倉与八郎と言った。
新兵衛とは途中まで一緒だったが 戦の最中に離れてしまい安否は不明という。
「新兵衛が・・・」
虎千代は肩を落とした。
生き残った者は守護代晴景に以前より協力的な 栃尾城の本庄実乃の元に、別個向かうよう指示が出ているとのことだった。
春日山城だけでなく林泉寺や母の虎午前の住む屋敷にも賊軍が侵入しているとのことだった。天室光育和尚や虎午前の安否は不明と言う。虎千代は言葉が出なかった。
戦に負けること いや巻き込まれることの惨めさと悲しさを身にしみて感じた。
しばらくすると前方に小さな集落が見えてきた。
戸倉が提案した。
「馬を休めましょう・・ 我々も少し休みましょう・・」
馬を止めると戸倉が物見に集落に一人で入っていった、しばらくして合図があり3人は集落に入った。
どの家も固く扉が閉ざされていたが人の気配はした。
みな家の奥に隠れて成り行きを息を殺して見ているようであった。
人の姿は見えないが視線を感じた。
一行は井戸の側に移動して馬も人もしばらく休憩した。
(ぐーつ)
虎千代はこんなときであったが お腹を鳴らせてしまった。
「・・・」
恥ずかしかったが昨晩より何もたべていないのでこればかりは仕方が無い。
しかも寝間着で逃げていたので日があたっているといえ少し寒い、
恐怖が残っているのもあったが寒さで少し手が震えてきた。
「・・・何か取ってきましょうか?」
気を利かせて戸倉が言った。
「・・・店など無いが・・・」
虎千代は返事をした。
戸倉は一瞬あっけに取られていたがすぐに源蔵が説明してくれた。
「ちょっとだけの狼藉でございます・・生きるためであります・・ご理解を・・・」
「・・私は大丈夫だ・・狼藉などしなくて良い・・」
虎千代はしっかり言った。
この時代の兵士にとって狼藉は生きることのため誰もがやっていることであった。有名大名の記録にもその旨が残っている、この時代には兵隊としては至極当然の行為であったが育ちの良い虎千代は現実の世間を知らなかっただけである。
戸倉は少し不満そうであったがそれ以上は何も言わなかった。
逆に源蔵は少し驚いたような感心しているような複雑な表情を見せた。
井戸の近くに腰掛 人馬共に喉の渇きを癒した。
15分ほどの休憩だったがあっという間に感じた。
疲れているせいか誰も一言も発しなかった。
一行は再度出発するために黙って立ち上がった。
そのとき 突然音がして集落の一軒の扉が開いて老人がこちらを伺うと、手に何かを持ってこちらに向かってきた。
源蔵 戸倉 は一瞬身構えたがすぐに落ち着いた。
老人の手には握り飯があった。
他の集落の家の扉もいつのまにか順番にゆっくり開いて中からそっと顔を出し みな覗き込むようにこちらの成り行きを見守っていた。
一行が狼狽を働かなかったので安心したのだろう。
老人は村長の五郎兵衛と名乗った。
そして虎千代たちに 握り飯を差し出した。
腹が鳴ったのを聞かれたのかと思い 少々気恥ずかしかったが素直に受け取った。
「ありがとう・・・」
虎千代は答えた。
老人は言った。
「・・驚いた・・姫君を連れていたので追い剥ぎでは無いかとは思ってはいたが・・何があったんじゃ・・?」
「戦じゃ・・・春日山城が落城した・・」
源蔵がため息交じりに答えた。
老人も深くため息をついた。
「また戦か・・・こんな世の中じゃから仕方ないが・・迷惑被るのはいつもワシらじゃ・・全く 越後はいつまでたっても争いばっかりしておるのう・・」
虎千代は黙っていた。