13時から研究所棟の5階で授業がありました

僕の研究室から近いのでその教室は重宝して

いました

ところが研究所棟なので教室の数は少なく

授業が始まる直前に事務所が教室を開け

廊下の明かりをつける手はずになっていました

しかしその日は廊下には明かりがつかず

教室の鍵は閉められたままでした

早い目に来ていた学生は暗い廊下で

教室が開けられるのを待っていました

「事務所が忘れているので事務所に行けば」

というと「面倒くさいやん!」という返事

事務所は一階下のエレベーターの前だから

難なく事務所に告げられます

でも「面倒くさいやん」という言い種でした

こんな学生ばかりではありませんが

最近の若者の口癖に、こういう発言は

珍しくありません



チューえー「面倒くさいやん」の背景 えーニヤリ



昔の学生は…最近の学生は…などと

比較をするつもりはないですが

「面倒くさいやん」が多発されると

つい「どうしてなのか」と思わざるを得ません

若者に多く見られる現象かと思いましたが

結構年をとった大人にも頻度は少ないものの

見られることに気がつきました

「面倒くさいやん」の背景には

世の中が便利よくなったせいだと思います

昔は井戸水を汲み上げての力仕事でした

メシを炊く、風呂を沸かすなど時間も

かかりました

小学生の時には、風呂炊きが役割でした

木を細く割り、新聞紙などを燃やして

細い木から太い木に勢いよく燃えたところで

石炭をほりこむという一連のルーティンでした

困ったのは、雨の日でした

燃料になる木などが湿って燃えにくいのを

工夫して燃やし、風呂を沸かしました

上手くいかないから「面倒くさいやん」などと

言ってられません

今は温度設定さえしておけば

自動的に温水がバスタブを一杯にしてくれます

便利になり過ぎた家庭や社会が

人を変えつつあります

僕は、かれこれ20年ほど前から

「話し言葉が不要な社会になりつつある」

と言ってきました

つまり、スーパーやコンビニで買い物を

するのにほとんど「話し言葉」は不要です

昔の市場では売り手と買い手の間に

「今日はこれがお得でっせ」「何が新鮮?」

などと会話がありました

新幹線に乗って東京に出張するのも

家を出てから東京の目的地に着くまで

全く「話し言葉」が不要なことが

少なくないです

こうしたことも「話し言葉」が

衰退している要因かもしれないです

「話し言葉が不要な社会」については

また期を改めて考えてみます




クロッカス(ではないと教えて頂きましたが
ややこしいのでクロッカス…)はもう終わり
朝顔も残暑の厳しさにやつれています
元気なのは雑草くん(学術名があるんでしょう)