世間一般だと無常と言う言葉は
虚しい
と言うニュアンスが多く含まれているように思います。
ある意味
それはそれで間違いではないと思います。
栄枯盛衰の移ろいを、諸行無常と表したり
嗚呼無常
なんて使われ方もする訳ですが
そこには欲望にしがみついて、散々に振り回される虚しさも含まれているからです。
だからと言って
生きてる事自体が虚しいばかりと言う事ではないのですが、そこら辺はクドクド言う必要はありませんね。
生きていればわかります。
さて
しかし今回は仏教ブログですから
仏教的な意味合いのお話です。
そもそも
仏教において、無常とは何か?
時代
地形
財産
建物
生き物
空気や水の流れ
宇宙から素粒子まで
仏陀は主に何を指して無常と言ったのか?
それを端的に示す仏弟子伝があります。
昔々、仏陀の弟子にラーダと言う者がおりました。
ある日、ラーダは仏陀の前に出て、腑に落ちなかった思いを率直に質問致しました。
「大徳よ、よく、無常、無常と仰せられますが、いったい無常とは、いかに心得たらよろしいのでしょうか」
って、マジかこいつΣ(´∀`;)
無常って言ったら仏教では基本中の基本。
算数で言えば足し算。
空手で言えば正拳中段突き。
無常位なら、俺でもわかる\(^o^)/ググレ
常に変わらぬものは無い。
故に無常。
その基本、誰に聞いちゃったのこの人Σ(゚Д゚)
怒られるぞー(゚д゚)マズー
おいラーダちょっと向こう行って話そうか
とか
ゴルァー!!!今更そこかい!!!
とか
⊃”⊃”⊃”⊃”⊃”⊃”⊃”⊃”⊃”
とか、そんなんなるぞー(((( ;゚д゚))))アワワワワ
そんなワケありません。
この素朴で素直で率直な、同じ道を歩む仲間の質問に対し、仏陀はこう答えました。
「ラーダよ、われらの肉体は無常である。
われらの感覚は無常である。
われらの概念は無常である。
われらの意思は無常である。
われらの認識は無常である。」
無常とは、俺達人間を指した言葉のようです。
この世の全ては移ろうもの。
しかし一番初めにその言葉を当てはめるべきは
己の心と身体なのですね。
変わらぬもの、常に無き事を無常と云う。
無常とは
まず、そなたの心と身体を指し
また、我の心と身体をも指す。
そのような観点に立った時に無常と言う単なる知識は、心に沁みる教えとなるのですね。
基本中の基本。
俺が最初に思っていた以上の意味がありました(゜o゜;
ラーダさんごめんなさいm(_ _)m
続けて仏陀は言いました。
「修行僧達よ、このように観察して、私の弟子は一切を離れる。離れる事によって、欲望を去る。欲望を去る事によって、解脱する。その時
我が迷いの生涯は既に終わった。
我が聖なる修行は既に成った。
なすべき事は既になされた。
この上は、更に迷いの生涯を繰り返す事は無いであろう
と、確信する事を得る」
かくして、無常の自得は解脱への導きとなる事が説かれました。