相変わらず眠い。
ここのところ散歩すらする気になれず、
また元の引きこもりに逆戻りで、
まあ、そういうのも良くないだろうと、
久しぶりに散歩に出掛けた。
歩いていると靴の中敷きが引っかかり、痛い。
2、3年同じ靴を履いているので、中の中敷きが摩耗しきって靴の中でグチャグチャになり、
そんなこともお構い無しで歩いていたが、
百均なら中敷きを売っているのではと思い、
駅チカのモール内にある百均に行ったら中敷きが売っていた。

サイズは大丈夫だろうか、デカかったらカッターで切ってしまおうかなどと考えていたが、
靴の中にスッポリ収まった。
私は生活保護で、まだ就労しておらず、
かと言って作業所にも行っていないので外出というと散歩か、
近くのコンビニにタバコを買いに行くか、
スーパーで食品を買うか、
あとは通院くらいしかない。
散歩と言っても公園か近くの神社まで行くくらいである。
東京の郊外の郊外で、早い話が田舎であり、
特に見るべきものもない。
いや、ただ私が知らないだけかもしれないが。
ブラブラ散歩していて平凡な町並みを歩いてると過去の思い出などが去来し、
そう言えば、二十年近く前、お笑いの養成所に居たとき、
中敷きをネタにしようとしたなと思った。
スナックのコントをやり、
私は、40過ぎで昼は工員かなにかやり、定時制高校に通う学生、
相方はママを演った。
養成所はだいたい20歳前後の子たちばかりで、
私は出戻りで、確かその年で30を目前のおっさんで、
相方は4つ下だったから25だったか。
そういう若い子等の中で、場末のスナックのコントを演ったので、高齢の養成所の講師陣にはバカ受けだったが、
いざ舞台にかけると水を打ったかの如く、静まり返った。
そりゃそうだ。
お客さんの殆どが20歳前後何だから。

そのスナックのコントの中に中敷きのネタを織り込もうとしてたなあと思い出した。

高円寺や中野界隈はバンドマンやお笑いの卵が多く、
飲み屋や、ファミレスで永遠頭のおかしな事ばかり何時間もネタ作りと称して喋っていた。

あの頃はホントに若かった。
今も阿呆だがあの頃も阿呆だった。
私のやるネタは当時でも不謹慎で今だといくら養成所のライブといってもアウトくさい。
私は今もボケてるが、当時もボケていて、よく台詞をとばした。
だからなるたけ台詞の無いコントも考え、
ムー、しか喋れないコントはどうだろう、
会話を文字盤のみにして。
そうなると、
何故その人はムー、しか喋れないのかという理由が必要で、
これを病気や事故にすると舞台にかけられない。
そうすると、この人は病気や事故でなく意図的に文字盤をムーしか喋らなくなった理由が必要になり、
私は長年勤めていたアニメの声優が役を降ろされ、
失意のあまり失声症を装ってるのはどうか、
相方にはその声優の息子という設定で。
などと、こんなようなことを当時ファミレスで4、5時間駄弁っていたんだから頭がおかしくなる訳だ。

しかし、
私の人生は何時も皮肉で、
後に本当に文字盤を使わなければいけない人に食事介助する事になった。
その方は気管支を切開されており喋れない。
食べ物も固形の物は無理で流動食であった。

私はまた、昔、俺は食べ物に頓着しない映画のマトリックスに出て来た粥のようなやつでいいとか言っていた。
現実、白、黄色、緑とクリーム状になった流動食を、
その方の口に運びながら、
罰と言うのは本当に当たるのだなと我が身を恥じた。
白色はご飯、緑はほうれん草、
黄色はなんの食べ物なのかわからなかったので、
その方に問うと、
文字盤を使い、
お、を指し、いを指し、もを指した。
お芋だ。
味気ないだろうなと思った。
私は今もそうだが、過分なくらい恵まれていたのだ。