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『真間山 弘法寺』
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結構すぐ登れましたー!
じゃじゃーん
立派な鳥居ですね
☆【仁王門】
ちょっと写真では暗くて見えないですが、左右には大きくて立派な仁王様がいます
なかなかしっかりした作りですよ、これも大昔に作ってるんでしょうね
門の真ん中の額は空海さんが記した物らしいですよ
こんな場所って言ったら失礼だけど、すごい発見です
振り返るとー
おぉーなかなか良い眺めではないですか
駅前のタワーマンションが綺麗に見えますね
弘法寺とは…(抜粋)
西暦737年(天平9年)行基菩薩がこの地にお立ち寄りになられ、里の娘、手児奈の哀話をお聞きになり、その心情を哀れに思われ、一宇(いちう)を建てて「求法寺(ぐほうじ)」と名づけ、手厚くその霊を弔われた。
それから約100年後の822年に弘法大師(空海)が教えを弘められるためにおいでになられた時、求法寺を七堂伽藍に再建され、寺運を一新して、「求法寺」を「弘法寺」と改称された。
鎌倉時代に入り、建治元年(1275)に、了性法印尊信(りょうしょうほういんそんしん)と、中山法華経寺、富木常忍公(ときじょうにんこう)と問答があり、日蓮聖人は六老僧の伊予房日頂上人(いよぼうにっちょうしょうにん)との対決が行われた。
その結果、日頂上人が法論に勝たれたため、爾来、弘法寺は法華経の道場となり、日頂上人をしてご開山とすることとなった。
☆【本殿】
日蓮聖人御遺文「真間釈迦仏御供養逐状(おいじょう)」と「四菩薩造立鈔」にも示されてる、
高名な一尊四士霊像が安置されている。
とても綺麗なお堂ですね
お参りしましょう
☆【伏姫桜】
様々な諸説のある枝垂れ桜みたい、
樹齢400年以上らしいですよーすご
すごいですよね!400歳ですよ
それでもこんなに綺麗に桜が咲いてるのって本当に神秘的で素晴らしいですね
ちょっと奥に行くと松平直基とその妻の墓地がありました。
読んでみると家康からすると直系の孫さんみたいだね
こちらは事務所みたいですー
意外に中広くて全部周れませんでした
☆【鐘桜堂】
「仁王門」とともに、真間山弘法寺が明治の大火の際、被害に遭わなかったのが「鐘楼堂」。
朝6時と夕方6時に山務員による「打鐘」が行われてるみたい。
また、新年には限定108名で、「鐘つき」を一般の方に公開している。
限定108名笑
へェー
鐘鳴らしたいなー
お正月に応募しようかねww
この周辺歩いて思ったのですが、お寺が多く万葉集にも書かれてるような詩や有名な歌人達とも結構由来があるみたいで、もしかしたらこの真間と云う場所は、平安時代~江戸初期にかけては結構要所の地でなかったのかなと推測できます
住宅の作りや並び方、弘法大師もここまでくるくらいだから、おそらく人も多く発展してたんじゃないかな
市川駅からここまでの直線の通りは『文学の路』とも言われてるみたいです。
綺麗な月見桜と共にこのへんで
ではでは
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