こんにちは!

 

 

先週末は久しぶりに

中学・高校時代の友人と

会ったムラタカナです♡

 

 

年を重ねても尚

こうして連絡を取り合い

集まれる関係性

 

 

頻繁に連絡をとるわけでもないけども

会うと話題は尽きなくて

一人一人のキャラが今も健在し

 

 

大人になっても変わらない

心地よいこの空気感

互いに尊重し合える関係性が

心から有難いなと感じるひと時でした

 

 

ということで

本日は「私の生い立ち⑤~部活動編~」です!

 

 

それではいってみよう!

 

  





私は中学時代、バスケ部だった

 

 

小学3年生から少女バレーをしていたが私は

中学もバレー部に入部すると

周囲からは思われていたみたいだが

私は絶対にバレー部には入部しないと決めていたのだった

 

 

その理由は2つあり

 

①バレー部に入部すると

少女バレーのメンバーが

そのまま中学のバレー部メンバーになる

つまり、

謎の序列もそのまま引き継がれる

という事実が予想される。

 

②当時、短距離・長距離と走るのが

早かった私は、とにかく走る部活に入りたかったが

私の通う中学には「陸上部」がなかった

 

じゃあどうするか・・・

バスケなら走るやん!

 

そんな軽い気持ちで

バスケ部に入部したのだった

 

 

これが地獄の部活動の幕開けだとは知らず・・・笑

 

 

バスケ部生活が地獄だったと思うのは

①先輩が怖かった

②顧問が都道府県下ではTOP3に入る程の選手だった為、練習がとてもハードだった

③ド田舎の為人数も少なく、体育館が常に貸し切り状態。

オールコート(公式戦と同じ広さ)を使用できる事が多く男女混ざって練習することが多かった。(休日はほとんど)

 

 

何せ、

鬼顧問が厳しい

先輩は怖い(一部の先輩の圧が凄かった)

水分は休憩中しか飲めない(まだ昭和時代の名残があった)

思春期だというのに

男女混ざっての練習をする(男子の早いスピードについていけと言われる始末)

 

 

何故か、バスケ部だけ上下関係が厳しかったし

何故か、バスケ部だけ休みも年末年始くらいしかなかったし

何故か、バスケ部だけは陸上大会や駅伝の練習に強制参加だった

 

 

また1個上の先輩は

その日の気分や練習の進み具合で

雰囲気がガラッと変わる方で

少し強い口調をする方だったから

(体験入部の時、「バスケ部入部しなかったら、

上靴に画びょうが入ってるかもしれないよ~」って

笑顔でいう人だったからね。(笑))

 

 

めっちゃ気ぃ遣ったよね~~~~笑

 

 

とはいえ、仲良くさせていただいてたので

良い面も沢山知っています

 

 

が!!!!

 

 

まあ、気ぃは遣ったよね。(何回も言う。笑)

 

 

何回も何回も辞めたいと思ったし

怖い先輩が引退したら

私はバレー部に戻ろうという

安易な事を本気で考えていたりもした

(序列があってもいいから、練習しなくても公式戦で良い成績を残せる

バレー部に転部したかった。←少女バレーをしてた子の集まりだったから地区では他校より普通に強かった)

 

 

 

そしてお手連れた、先輩が引退する日

 

 

 

やっと自分達の代になり

私はバスケ部を辞めたいと思っていたし

誰にも非難されずに辞められるとも

思っていた

 

 

しかし・・・

 

 

私は、先輩方と顧問の推薦で

なんとキャプテンになってしまったのだ

 

 

顧問に直接

「私より〇〇ちゃんの方が上手いし、バスケが好きだし

キャプテンに向いていると思う」と交渉したが

 

 

一度決まったことは決して覆らなかった

 

 

そして、始まった

私のキャプテン生活

 

 

これまた面倒なことも多かった。笑

 

 

私よりバスケに情熱を注いでいる友人が2人おり

常々私がつくる練習メニューに口出しをしてくる始末

 

 

しかもちょっと上から目線で。

 

 

だから言ったや~~~~ん

この子らをキャプテン・副キャプテンに

したらよかったんやん!!!!!!

 

 

心の声は叫んでいたし

「そんな文句あるなら、2人が決めろよ」

と何度思ったことか・・・

(今、この二人とはとても仲良しです^^)

 

 

文句を言われながらも

顧問にはキャプテンだからと

1番怒られる役割だったし

 

 

出たくないのに

試合にはレギュラーとして出されるし

(今なら思う。辞めろよな・・・私。笑)

毎日練習時間はやってくるし

キャプテンだから泣き事言いってられないし

 

 

何よりもその頃は

有難いことに後輩が何人もいたので

後輩が「変なところに気を遣わず、伸び伸びと部活ができるように」

と考えていた私

 

 

舐められてもダメだし

バスケの技術は上げないといけないし

走るのはしんどいけども

1日休めば取り返すのに3日はかかるから

とにかく走らないと!と思っていたし

男子と一緒に練習する時は

ディフェンス(守り)の時

どこまで身体を接近させたらいいのか分からないのに

顧問は互いにもっと行け!!!!

と、私らを女子と思ってないやろ?的なノリだし・・・

 

 

もう、

毎日毎日クタクタだった。

(今思うと、こんなに打ち込めるものがあったって良いことやんね)

 

 

それに比べて他の部活動の話を聞くと

「鬼ごっこしてた。てへ」とか

「顧問が専門じゃないから、練習も適当~♪」

と言っている人たちがいたりと・・・

 

 

なんで私は少ない選択肢の中で

「バスケ部を選んでしまったのか」と

後悔することも多々あったというね。笑

 

 

あの部活だったら楽だし

そりゃ帰宅後に勉強できて当然だ

 

あの部活ならバスケ部程疲れないし

駅伝や陸上大会の練習も追加でないから

早く帰れて余裕あるよな~そりゃ。

 

と成績の良い友人のことを

僻んでいたことも正直あった。笑

 

 

でも、当時の私は

私が思う完璧になりたかったんだと思う

 

 

だから

お笑いポディションは継続的に続いてたけど

面白いしアホキャラだけど

勉強も部活もできるムラタカナ!!!

 

 

そんな自分になりたいと思う一心で

勉強もよく頑張った

 

 

そして、その頃

高校受験には内申点が評価されると

知っていたので

そんな下心と相変わらずの「目立ちたい欲」で

生徒会長にもなった私

(笑えるよね~私が生徒会長だなんて。)

 

 

周りからの評価は

日増しに変わっていった

 

「良く出来る子」

 

 

「勉強もスポーツも出来る子」

 

 

そんな印象が出来上がっていったし

私の中でも

そんな自負があったのだった

(なんて傲慢なね。お恥ずかしい・・・)

 

 

そんなこんなで

私は最後までキャプテンとしての任務を果たし

バスケ好きの2人の有難いご意見も上手いこと交わし

勉強も頑張り

駅伝も走ったり

陸上大会にも出場したり

(800M出場して、人生で初めてドベを経験。笑)

 

 

ほんまに、よお頑張ってたわ。

 

 

その頑張りもあってなのか

最終的には

地元では1番の進学校に合格することもでたし

これが人生で初めての

成功体験にもなったという

(本当にその高校に行きたかったし、

行ったからこそ今の夫とも出会うことができたのです♡)

 

 

 

部活動をしながら勉強も頑張った

そう思える中学時代を

過ごしてきたのであった・・・

 

 

 

 

ここまで書いて、

もっと部活動のネタ的なことを書きたかったのに

長々続きそうだったので

端折って書いてみると

 

 

「なんとも面白みのない文章になってもうた~~~~~~」

 

 

関西人としてけしからぬ・・・・

 

 

 

と、笑いのとれなさに少し残念な気持ちになった

「今現在のわ・た・し♡」

 

 

しかも、部活編と言っておきながら

そんな部活について書いてない気もするし。笑

 

 

 

まあ、そんなこともあるか♡

 

 

 

ということで、

私の中学時代はこんな感じで

 

 

次回は、家庭環境がボロボロでありながらも

念願の夢が叶い通った進学校での

(主に部活をしてた記憶しかないが)

高校生活編を思い出していこうと思います^^

 

 

私のこれまでの人生で

本当にガラリと見え方・感じ方に大きな変化があった

 

 

「高校時代」

 

 

お楽しみに~~~~~

(ハードル自分で上げるよね~~~~笑)

 

 

 

それでは、また明日♡