忘れもしない2019年1月19日。
いつもの様に朝起きて旦那と子供たちを起こし、いつもの様に朝ごはんの準備、見送りをして、いつもの様に仕事をしてました。
10時頃、旦那からの電話。
仕事柄早く終わる日もあったり、時間が空いたら電話をくれる旦那でした。
いつもの様に電話に出たら旦那とは違う声。
電話の後ろの方では今でも鮮明に覚えてる救急車のサイレンの音。
少し嫌な予感がし、旦那の下の子が必死に喋ってくれています。
奥さん、⚫⚫さんが落ちました。
今から病院搬送されるんですけど、来れますか?
と。
その時はどうせ大した事ないやろ。
仕事忙しいからいちいち行かんでもいいやろ?
仕事終わってからバスと電車で行くから。
と呑気な事を思ってました。
それを伝えると、いや、タクシーですぐに、ホンマにすぐに来て下さい。来た方がいいです。との事。
えっ!?と思い、完全にパニクった私。
幸いにも一緒に働いてくれているママ友が一緒にいてくれ、事態を察し付いてきてくれ、5歳と6歳の子供たちを連れてタクシーに乗り込み病院を伝え向かってる最中、、
旦那との思い出が一気に蘇りこの時点ではまだ何もわからないのにタクシーの中でワンワン泣きました。
もし、死んじゃったらどうしよう。
下半身不随や脳死、人工呼吸を付けられ生死をさ迷っていたら?等
パニックってた私は頭の中ぐちゃぐちゃで。
子供たちがいるからしっかりしないとダメなのに。。
よく通った道。旦那が恋しくて。恋しくて。
ママ友はきっと大丈夫。と支えてくれ。
何とか病院に到着。
とりあえず何も言わず警察からの簡単な取り調べを受け、誰からも何も伝えられずひたすら待っていたので実際の時間はわかりません。
この間に親等に電話をして、子供たちの相手もして。
手術室前で待たされる事2時間程かな?
いや、1時間かな?長かった。。
看護師さんに呼ばれた時、ご主人様は心肺停止です。蘇生を続けていますが、これ以上は。。
との事でした。
何となく覚悟が出来ていました。
心肺停止の場合、延命治療をするか。しないか。
生前から話しを出来ていたので、そうなった時の覚悟があったんだと思います。
旦那の生きてる最期。。
管やチューブに繋がれ無理矢理生かされてる旦那。
早く楽にしてあげたかったので、宜しくお願い致します。と言う私。ここからの私は凄く冷静でした。
心電図がピーっと鳴り響く中、子供たちと4人で手を握乗せ、今までありがとう。
頑張ってくれてありがとう。と言う私。
処置しますので。と言われ少し待って個室を用意してくれましたがその後に警察署に行ったり、親への連絡、子供たちの事、仕事の事。
色んな事があったのでパパ、旦那との時間は少しでしたがこの時、子供たちを連れてきてよかった。と思っていました。
家を出る時、預けていたら、子供たちはパパとの最期を看取る事が出来ないままでした。
5歳、6歳なのでどうしようか凄く悩みました。
看護師さんにもお子様、どうされますか?
と所々で聞かれましたが、子供たちの為に頑張ってくれてたパパ。子供たちに会いたかっただろうし、子供たちにもパパの分までちゃんと生きて欲しい。と言う思いがありました。
そんなこんなで次は警察署で取り調べ。
仕事中の事故なので、疑われたり。等はなかったのですが、司法解剖が行われる事や少し色んな事を聞かれたりと。
ここでも時間が掛かり、子供たちも疲れていてとりあえず、早く家に帰りたい。と言う気持ちでいっぱいでした。
だけど、家に帰ってくると旦那がいない家、、
実感が襲ってきます。寂しくて寂しくて。
とりあえず旦那はいない家。
仕事の方への連絡。
生前から旦那との決め事←直葬の手配
等して旦那が亡くなった当日を過ごしました。