「こんにちは、スザクさん」
チャイムの音に扉を開け、笑顔のナナリーと彼女の後ろでなにか大きなものを抱えている護衛のジェレミアという男を、スザクは怪訝な顔で出迎えた。
いつもナナリーの傍らで難しそうな表情をしている彼が、口元に微笑すら浮かべて見つめるそれは一体何なのか。
大切な宝物のように腕で囲って、そっと部屋へと入ってくるその様子をスザクは興味深く見つめた。
「今日はスザクさんに贈り物があるんです」
「贈り物?」
それがこのジェレミアが抱えているものなのだろうか。
こくりとナナリーは頷くと、背後に立ったままのジェレミアを促してその贈り物とやらをソファへと下ろさせた。
厳重に、それでいて柔らかく包んでいる真っ白な布をまるでラッピングを解くようにはらりと剥いでいくと、中から現れたのは…人、だった。
眠っているのか瞳は閉じたまま、触れられてもピクリとも動かない。
整った造形に一瞬人形かとも思ったが、頬に影を落とす濃い睫毛や薄っすらと開かれた唇が呼吸に合わせて動いているのが見て取れて、生きているのだと分かる。
黒いタートルネックのカットソーに同色の細身のパンツを身に着け、折れそうに細い手足を投げ出す様はひどく儚げに見えた。
まさか人だとは思いもよらず、声も出せずに驚くスザクにナナリーが静かに口を開いた。
「愛人(アイレン)です」
アイレン。
終末期の患者の精神的ケアを目的とした擬似的配偶者。
何らかの理由で社会的に存在を許されない人を凍結し、元の人格を封印して再生させたモノだ。
封印前は犯罪組織の殺し屋やテロの自爆要員など、生かしておいては人に害をなす存在を否定されたモノばかり。
しかし封印された記憶データは人権上の配慮からすぐに破棄される。
研究を重ねてやっとそういう制度ができたのだと、前回スザクの元を訪れた際にナナリーが教えてくれたことを思い出す。
「お一人では寂しいこともありませんか?」
それは確かに誰かと話をしたいと思うこともあるが、今のスザクには他人と暮らせるだけの余裕はない。
スザクの戸惑いを読み取ったのだろう、ナナリーはにこりと微笑むとソファに身を横たえる少年の隣へと移動した。
彼の白い頬にそっと優しく手を当てるとするりと撫でる。
「この方もとても寂しい人だったのです」
淡いラベンダー色の瞳に苦しそうな色が浮かぶ。なぜナナリーがそんな顔をするのだろう。
愛人の素性は誰にも分からないはずではないのか。もしや彼は余程有名な犯罪者だったのだろうか。
もちろんそうであったとしても、過去に彼に会っていたとしてさえスザクは覚えてはいないが。
「スザクさん、しばらくの間でいいのでこの愛人と暮らしてみてください」
「でも…」
そもそも愛人は終末期の患者のためのモノではなかった。
市の福祉課へと申請し、医学的に死が避けられないものと認められれば手に入るのだ。
つまり今のスザクの状態はそれと同じだということなのだろうか。
身体は健康そのものだと思っているが、確かにいつかなにもかも忘れて覚えていることすらできなくなったら、それは生きていても死んでいるのと同じかもしれない。
だって自分にとっての過去も未来も、全てなくなってしまうのだから。
だからナナリーはスザクにこの少年―愛人を託そうとしているのか。
ナナリーは黙ったままスザクをじっと見つめている。まるでスザクが了承しなければ引くことはしないと言いたげな強い視線だ。
彼女とスザクは子供の頃からの付き合いだったと聞いている。その頃の記憶は既にスザクから消え去っているが、ふんわりとした外見からは想像もつかないほどに彼女の意志が強いことは知っていた。
だからスザクは一つ溜息を吐くと頷く。
「分かったよ。でも僕には人の世話なんてできないからね」
「それは大丈夫です。今はまだ目覚めていませんが、明日には言葉と運動能力が戻るとのことです」
ぱあっと一気に表情を輝かせて両手を胸の前で合わせる。弾む柔らかな榛色の髪が言葉にせずともその喜びを伝えてくれた。
「普通に暮らす上での生活能力もあるはずですので、スザクさんの手を煩わせることはないかと」
「そう」
「…きっと…きっと、お二人が一緒に暮らせば良くなります…」
「ナナリー?」
小声で何かを呟かれたがよく聞き取れず、首を傾げてみてもナナリーは優しく微笑むだけで、何も答えてはくれなかった。


その後他愛もない話をしばらくしてから少年を置いてナナリーとジェレミアは帰って行った。
二人とも帰る直前まで愛人であるこの少年を気にかけているようだったが、彼に関して特別何か言うことはなかった。
スザクもまた詳しいことは聞かなかった。どうせ聞いたところでその内忘れてしまうのだろうし、この少年と長く一緒にいることになるとも到底思えなかったから。
ソファに座らせたままの少年はなんとも納まりが悪くそのまま倒れ込みそうにも見えて、スザクは自身の寝室へと運び込むことにした。
予想通り抱え上げたその身体は驚くほど軽い。
見た目は自分と同じ年ぐらいのはずなのに、その存在すら疑わしく感じられるほどの不確かさになぜか胸が痛くなる。
ベッドへ寝かせるとスザクは飽きることなく少年を眺めた。
この閉じた瞳は一体どんな色をしているんだろう。どんな声で話すのだろう。
笑うのだろうか、怒るのだろうか、泣くのだろうか。
相変わらず人形のように動かない様子からは想像もつかないが、そうやってまだ見ぬ彼の姿を思い浮かべることはなんだかとても楽しかった。
一人になってからずっと何かに興味を持つことも忘れていたのに---。
気付けばいつの間にか日は落ちて外は暗くなっているようだ。
分厚い遮光カーテンを通しても、光はどこからか入ってくる。その差し込む光が届かなくなった今、部屋は薄暗くベッドの上にいるはずの少年もおぼろげにしか見えない。
薄い身体が持ち上げる布団の形と、夜目にも光る白い肌だけが彼の存在を教えてくれる。
スザクはその姿を眺めているだけで不思議と心が安らぎで満たされていくのを感じ、ベッドの傍らに跪いたままいつしか眠りに落ちていった。



「おい」
少し低い声が耳元に響く。
そっと軽く肩を揺すられるのを感じて、スザクの意識はゆっくりと覚醒した。
誰だろう。この家に自分以外の人がいるはずがないのに。
でも聞き覚えがある。乱暴なのに、どこか優しい音色のこの声に…そんなはずはないのに。
目を開けば飛び込んできたのは煌めく眩いばかりのアメジスト。
「……ルルーシュ…?」
「え?」
思わずつぶやいた言葉に目の前の瞳に困惑の色が浮かんで、スザクは慌てて混濁した頭を振った。
しまった、寝惚けていたようだ。今口走った名前は一体何なのか。
「い、いや!その、それは…!」
「それが俺の名前か?」
「え?」
ふわりと。花がほころぶようだというのはこういうことかと思うほど、綺麗に彼の顔に笑みが浮かぶ。
思わず見惚れてスザクは否定する言葉すら出てこなかった。
彼はベッドの上からスザクを覗き込んでいた姿勢を正すと、すっと手を差し出す。
「初めまして。ルルーシュだ。お前は?」
「…スザク…」
「スザク、よろしく」
差し出された手を自然に握り返し、細くしなやかな指が自分の日に焼けた掌に絡みつく様を、スザクはどこか遠い所から見ているように感じていた。


こうして彼-ルルーシュとの生活が始まった。
愛人というのは元の記憶を封じられているため名前もない。
だからスザクの口から零れ落ちた「ルルーシュ」という名前をそのまま受け入れて、自分の名前としている。
ルルーシュとの生活は、スザクにとって悪いものではなかった。
いや、この家に来てから初めて楽しいと感じることができたのだから、とても上手くいっていると言ってもいいだろう。
目が覚めたその日はまだ手足を動かすのが不自由そうにも感じられたが、次の日には日常生活が問題なく過ごせるようになった。
時折何もない所で躓いたりしているのは凍結されていた影響ではなく、ただ単に元々運動神経が鈍いだけらしい。
ナナリーの言う通り生活能力にも問題がなく、むしろ料理の腕などはスザクよりも上手かった。
ネットでなにやら新しいレシピを仕入れてはその腕を振るってくれるので、特に食事に意味を持たなかったスザクの食生活はぐんと向上した。
きっと記憶を封じられる以前から頭も良かったのだろう。
ルルーシュは自分のことに頓着しないスザクの身の回りの世話をせっせと焼いてくれる。
それが嬉しくもあり面映ゆくもあり、彼の姿を見るだけで忘れかけていた笑顔を思い出せるぐらいに楽しい毎日だ。
これが愛人かと思う。
死を前にした人間が愛人と一緒に過ごすことでこうして癒される日々を送ることができるのであれば、確かに彼のような存在は必要なのかもしれない。
例え以前は許されない存在だったのだとしても---。
二人は不思議なほどに一緒にいることが自然で、一時期とても不安定になっていたスザクの記憶も最近では安定し始めている。
今ではスザクにとってルルーシュはなくてはならない存在になっていた。