どうも、小柴大始です。
春眠暁を覚えずとはよく言ったものですが、
春を越えてもなお眠いです。
さて、ここ最近自分自身の変化に驚くことが多いのですが、
また一つ新しい発見がありました。
とある人の死に触れたとき、不思議とさみしく、悲しい気持ちが
湧き上がってきて、その時に出てきた言葉をとにかく
自分の中だけじゃなく、外へ出したくて、文章にしました。
人間生きていれば当然日々いろんなことを感じます。
僕ももちろんいろんなことを感じて生きていますが、
役者、表現者なのにもかかわらず、それをなにか表現したいとか
素直に叫びたいとか、そういう動きとは無縁なタイプです。
もちろん、内側で検証して、観察して、何か表現をする場では
その時の思いを役立てはするのですが。
しかし、今回は、とにかく内側じゃだめだ
誰も見なくてもいい、誰も知らなくてもいい、とにかく
これを外へ出さないとダメだ。
という衝動に駆られました。
これこそが「感動」というものなのだろう。
なにもポジティブなものだけが感動ではない。
感動とは、何かを観て聴いて、「感じて」「動く」ことだ。
まさにその通りだった。
無感動に生きてきたわけではないけれど、
こういう一面が自分にあるのだ、と気づいた瞬間でした。