2月12日・13日定期演奏会はブルックナー/交響曲第9番。公演前に今回の指揮者 尾高忠明音楽監督にお話しを伺いました。

 

大阪フルハーモニー会館 音楽監督室にて

 

岩井:練習お疲れ様でした。(初日の練習後にインタビューしました)いよいよ忠さんとのブルックナー9番。期待が高まっています。

 

尾高音楽監督:ブルックナーの9番は、うちの親父が死ぬ前の最後の日響(現NHK交響楽団)の定期演奏会で初めて指揮をしてね、ブルックナーの9番は前から演奏したいって言ってたんだけど、許可がおりなくて、そんなもの今の日本じゃ無理だって言われて、でも最終的に演奏させてもらったんだけど、何とブルックナーの9番を前半に演奏して、後半プロコフィエフのピアノ協奏曲3番とレスピーギの「ローマの松」という(笑)ブルックナーが聞いたら怒られそうなプログラムだったんです。

 

それを、うちのお袋は聴いてたんだけど、オケの出来もあまり良くなく、お客様も何もわかんなくて、静かに終わって拍手も何も無い状況の日比谷公会堂で、あらあら大変だったわねと舞台袖で待ってたら、親父がボロボロ泣きながら帰ってきて、最初に言った言葉が「ブルックナーおじちゃん、よかったね」と。それは天国に行けてよかったねと言ったという事を僕は子供の頃に聞いたんです。

 

なのでブルックナーの9番って何なのかな?って思ってました。当時ヴァイオリンはやってたけど、到底指揮者なんて夢にも思ってない頃で。

 

だんだん指揮者に興味を持ち始めた頃に、カールシューリヒト/ウィーンフィルのブルックナー9番のレコードが出て、素晴らしいと評判を聞いてね。それでハマったというか、こんな世界があるのかと、自分が弾いてたヴァイオリンは何だと、まるで別世界じゃないかと、ホント神様に近い感じがして。それ以来ブルックナーの9番!って。

 

そのうち桐朋の指揮科に入って、それこそ井上道義と桐朋の一番大きなステレオでそれをかけて、いわゆるブルックナーサウンド凄いなって言ってた頃、井上は「俺はマーラーの方が良い」なんて言ってて(笑)思い出深いですね。

 

その後、デビューをさせてあげるって、東フィルやN響が言ってくれた時に、ブルックナー9番って言っても勿論誰もYesって言ってくれなくて、そりゃ22歳の指揮者には振らせてくれないので(笑)ブラームスとかでデビューしたんだけど、その後東フィルの常任指揮者になれて、しばらく経ってやって良いって言われて演奏したのが最初ですね。

 

それから、大好きな曲だけど、じゃあ頻繁に演奏できるかと言えば、そういう曲ではないし、非常に深い曲なので、大事な節目の時に演奏してきていますけど、色んなオーケストラで演奏して、色んな思い出があるけど、一番の思い出はウエストミンスター寺院の響きの中での演奏と、もう一つがシンフォニーホールで皆さんとご一緒したブルックナーの9番(※)。

 

岩井:なんと、凄く嬉しいです!僕も忘れられない公演です。親方亡き後、最初にブルックナーを振ってくださるのは何方か、楽員の先輩方も特に口にはしませんが気になってたと思います。「復活」でスタートした大植音楽監督の就任の2003年で、シーズン終盤の1月でした。

 

尾高音楽監督:その頃、大フィルはブルックナーを封印するんだと世の中には出回ってましたし、誰にも振らせないはずだったし、もちろん暫くはという事ですが。僕も絶対ありえないと思ってたんだけど、急にブルックナーを演奏しませんか?と。何番ですか?って聞いたら「9番」だって言われた時には、ほんとビックリしました。

 

まさか!あの頃僕が何歳だったか忘れましたけど、今の僕にブルックナーの9番を頼んでくださるとは、夢にも思わなかったです。

ほんとに、エポックメーキングなんてもんじゃなくて、一番びっくりした出来事ですね。

 

あの時、シンフォニーホールで、ほんとに凄い音を出していただき、前半のソリスト、タスミン・リトルも、こんなブルックナー聴いた事が無いと驚いてて、それが思い出ですね。

あれから17年かぁ…早いねぇ~

 

(後編に続く)

 

(※)

第374回定期演奏会

2004年1月31日 ザ・シンフォニーホール

モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲 第4番

ブルックナー/交響曲 第9番(ノヴァーク版)

指揮:尾高忠明

ヴァイオリン:タスミン・リトル