たとえ金を持っていようが、社会的な立場が高かろうが、学があろうが、その場所では誰もが同じ。エライもエラク無いも関係ない。姿勢やちょっとした振る舞いや人への心配りに、その人の生きてきた様相が顕著に表れてしまう。


この夏以降、浅草界隈の銭湯に何度か行った。演芸を観たり、あちこち立ち寄った後など、呑み始めるまでちょっと間がある時、手ぶらで寄ってもタオルやらシャンプーその他を付けることが出来て、気軽に汗を流したり、くつろいだりすることが可能だった。


そんな銭湯の中でも、粋だなと思える立ち居振る舞いのお爺さん・おじさんも数多く見てきた。湯船に入る際に人の前を横切ることになった折に、軽く手刀を斬ってから歩を進めることとか、ちょっとした声の掛け方など。当然ながら全裸でw、そうであっても醸し出されるその人の生き様なり迫力や色気、他への気遣いや優しさや余裕など、まさに「粋」としか言えないようなその人の魅力を見掛けることも多くあった。


もちろん、ダメダメな人もいることは最初に断っておく。ただ、銭湯のような極楽に近い場では、そんな残念な人は淘汰されて、ただ「粋な人」のみが目に映り、心に残るのだった。


そして、それは銭湯だけではなく、たとえば居酒屋などでも同じことが言える。居酒屋は銭湯と違い衣服は纏っており身体は隠し蔽われているが(当然ですがww)、しかしお酒を呑むことでこころは丸裸になってしまう。理性やら建前は随分と緩んでしまい、その人の本性と本音が浮かび上がってくる。


そんな時でも、ああこの人は粋な呑み方するなぁ、粋な話しをするなぁという方に。時折巡り合えるものだ。そんな時は酒飲み冥利につきる。


そして酒呑む時は極楽に近いので、粋ではない残念な人を見掛けてしまっても、それはあまり心に留めることもなく寛大に許そうという気になる。


銭湯も酒場も、その人が自分を取り戻すような場なのだろう。そこでは虚勢も権勢も関係ない。その人の生き方が試されてしまう。


さてそこで、だい。はどうかと尋ねられると、目が悪くて見えづらいこともあり、銭湯内で少しへっぴり腰かな。粋には遥か遠いww。酒場は場数を踏んでいるので、心眼が使えるのですが(笑)