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知り合いが出演するということで、新宿紀伊國屋ホールに観に行きました。

ちなみに、アチャラカというのは軽演劇と同じ意味で、海外のスラップスティック(ドタバタ)的な劇を、演者側からそう言った言葉です。古川ロッパの著書にも、アチャラカの語を使った題名があります。軽演劇という語は評論家とかが使った言葉のようです。あと、ハリキるも古川ロッパが作った言葉。

古川ロッパって、一般の知名度はどれだけなんだろ。ライバルとされたエノケンはいまだに名前が残っているが。客席の周りの声の感じでは、どうもロッパだけでなく、エノケンさえもどういう人か、どういうことを為した人かは、あまり事前に知られているわけでは無いらしい。

浅草あたりでは、エノケンはもちろん、ロッパのロイド眼鏡の肖像も壁画やパネルとなって、浅草芸人の先達として今も親しまれているというのに。

僕も、古川ロッパはこのブログで3、4回名前を登場させているが、その喜劇の具体的な様子は知らない。むしろ、ロッパの浅草グルメのエッセイの方を読み込み、書いたかも知れない。

幕が開く前に流れている音楽も、浅草芸人の歌う唄で、僕には想いも籠る音楽だったが、世代が違うとまた馴染まない音曲なのかも知れない。


そんな意味でこの芝居も、古川ロッパやエノケンの活躍を同時代でなくとも伝わっている人たちなら楽しめたかも知れないが、そうでなければ前情報無いとこの芝居の面白さは伝わらなかったかも知れない。

この芝居では、1945年の戦争も厳しさを極める時期に、エノケンとロッパの共演す  る喜劇が計画され稽古が始まる。

ロッパもエノケンの台頭に焦り、内面ではこの芝居で明らかに人気と実力の差を見せつけられることを恐れている。劇団での人望も地に落ちており、さらに時局柄、喜劇を開けないような圧力が軍当局や愛国婦人会からのし掛かってくる。

そんな中、ロッパはなぜ喜劇を自分は演っているのか、から力を取り戻して、劇団をまとめ、友人の菊田一夫などの協力も得て圧力をかわして公演を開かんと努力する・・・。


いくつも素敵なセリフがありました。芸人のあり方につながるような。なぜ喜劇をするのか、とか芸人が客を前に悩んでいてどうするとか、芸人は一に愛嬌、二に才能、三四がなくて、五に稽古、とか。

もっと、古川ロッパの苦しい時代の前に、彼の少しインテリな感じでの、しゃれた寸劇やナンセンス、パロディで一世を風靡していた時期もやっていたら、後の彼の悩みや栄枯もより伝わったかも知れない。


僕はそれなりに楽しめたが、それでも観客の全体としては、あちこち少し惜しい芝居でした。