「灯籠流し」


#140novel 哀しいことが起きると、灯籠をもっとたくさん流さないといけません。もうそんな哀しいことがもう二度と起きませんように。もうすでに灯籠は川面に満ちています。灯籠一つ一つが大切なひとの命の証しで、多くの想いが籠っています。凄まじくも美しく、眺め続けるのも気疲れして、思わず目を外すのです。



「帰省」


#140novel 今年も帰省は致しません。帰ると、親として当然聴きたいことをあれこれ訊ねられることになるでしょう。子としても嘘もつきたくはありませんし、無視もできないのです。お父さんお母さん、遠い街にてなんとかやっております。お二人の質問には何一つとしてキチンと答えることは出来ない身なのですが。



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今年の夏も、全国各地で死者の魂を弔う行事として、灯籠やお盆のお供え物を川に流す灯籠流しが行われました。精霊流しと称するところもあります。京都の五山の送り火も、死者を船形に乗せて川に流す風習が原型だと聞いたことがあります。


故郷の広島でも、原爆被爆者の慰霊の灯籠流しを観たことがあります。夏の川面を色とりどりの灯りが流れていく様は、どこか異界の近くに繋がっている感覚を自分にもたらします。


昔からの死者を弔う行事として行われていたものもあれば、先の大戦での犠牲者を弔う行事として戦後に始まったものもあります。願わくば、このような哀しいことが起きず、この灯籠流しが今後増えていきませんように。


そんな郷里での祭りや催しの報せが、最近はネットのお蔭で多く届きます。懐かしさのあまり、休みが取れそうな時に帰省することを少し浮かべますが、そんな思いを振り切るように帰らない理由を心に取り戻します。このところ、僕も帰省をしていません。出張の際に寄ったくらいか。郷里を捨てたわけではありません。郷里は心の裡にあるものです。