「みかん」


#140novel 小学校は瀬戸内沿いの山の中腹にあった。日当りが良く、みかん畑が並ぶ。朝の登校の際にみかんを一つくすねる。給食時、隣席の女子は歯に沁みるからと、冷凍みかんをアルミ製のトレイにいつも残すのだ。僕は手品だよと、こっそり朝取ったみかんにすり替えた。陽光の中、彼女の笑顔が眩しかった思い出。




「隅田川」


#140novel 隅田川は、大切なものを喪い、そして取り戻す場所。能楽でも、子供をさらわれ狂女となった母が、隅田川のほとりで息絶えた子供の幻と巡り会い魂を救われる。また川の底に沈んでいた観音像が引き上げられ、浅草寺のご本尊になっている。今、隅田川の桜は散りながら、大切にしたい記憶を私に残している。




****************

僕の郷里の学校は、瀬戸内の沿岸の山の中腹にあり、とても陽射しが良く、みかん畑が立ち並んでいた記憶があります。


いや、宅地化も進み、みかん畑もかなり減ってきていたかも知れません。


冷凍みかんって、小学の給食にはよく出ていましたが、それ以来ほとんど食べていないな。僕も普通のみかんの方が好きだったかも。


「隅田川」という能や歌舞伎になった演目があります。僕も京都の学生時代に、この能を観たことがあります。


狂女ものはそれでなくとも魂を揺さぶられるものがありますが、この隅田川はその中でも悲劇性が際立っています。京都で愛する息子を人さらいにかどわかされたため、行方不明となった子供を探してはるばる武蔵国の隅田川まで尋ね歩く、その壮絶さがまず胸を打ちます。当時は東の国は寂しい未開の地でしたから、そこで敢え無くも命を落とした息子の無念さも染み入ってきます。


さらに隅田川から漁の時に引き揚げられたという、5.5センチほどとされる金の聖観音像を秘仏として、浅草寺はご本尊としています。その観音像がどういう経緯で川中に沈むことになったのかはわかりませんが、それが奇跡的に川から揚がり、供養されることになったといいます。


そんな奇跡も含め、隅田川には何かの霊験があるような気もします。


今年、川沿いの隅田公園の夜桜を観る機会がありました。溜息をつきたくなるような美しさでした。花は散っても、その記憶を留めたいものです。


隅田川を巡る3つの逸話をまとめて、喪失と回復というテーマで書いてみました。