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「教養」という言葉を聞くと、人は反発心を抱いたり、あるいはコンプレックスを感じたりするなど、心にさざ波を立ててしまうことも多い。

教養なんて実社会でなんの力にもならない。教養人なんて実際の世の中を変えることになにも貢献してないじゃないか、などの声が、教養といったものを評価しない人からは容易に出ることが予想される。

そもそも教養というのは、大正から昭和初期の旧制高校での伝統である「教養主義」のベースとなっており、主に読書を通じて得た知識で、人格の形成を望んだり、知識によって社会から悲惨や不幸をなくしたいといった人生観・価値観の基となるものだった。だが、そのようなエリートが社会を変革するといったいわゆるエリート主義は今日(こんにち)では滑稽というか、さすがに時代遅れの感がする。もう学生運動の時代を経て、そんな理想論は挫折を迎えている。

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あるいは、今のIT社会では知らないことがあれば検索すれば正解に行き着く。現代において教養とか知識はそれほど重要ではない、といった声もあるかもしれない。ただ、断片的な知識と違い、教養はある一連のつながりのあるもので、一定の広さと深さを備えている。


また、私なんて勉強してこなかったから教養なんてもう無理と最初から諦めてしまったり、仕事などで忙しく、教養が必要とは分かるけどなかなか身につける時間やお金が無くて、とか、教養を身につけたいがその方法が分からない、といった声もある程度予想される。


ここで、自分が決して教養があるとかという上からの目線での言葉ではなく、自分にとっての教養の持つ意義、自分になぜ教養が必要かをここで書くとともに、おそらく教養を身につけるのに一番苦労がなく、誰でも出来て、おそらくかなりの効果がある方法をここで披露したいと思う。

もちろん、これは私の一つの意見、方法であり、他にいろんなご意見の方もいらっしゃると思う。ぜひ、そんなご意見もご披露頂ければ嬉しいことです。

長くなったので次回に続きます。

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