「櫻守」


#140novel 私は庭の桜を守り続けています。年に十日ほど花を咲かせるため、適宜枝を払い、害虫駆除の薬剤を注入し、落ち葉を掃くなど、年間通じ丹精しています。報酬や褒められる事も無い仕事ですが、いいのです。私は心底桜が好きで、満開の桜を観れば苦労は晴れます。そして次の世に桜を引き継ぐ夢があります。




「吉原風流」


#140novel 落語「二階ぞめき」で、店の若旦那が吉原通いをやめる代わりに、家の二階に吉原の通りを再現してもらい、誰も居ない中、冷やかしをして歩く。若旦那のことを酔狂だなと笑っていたが、家の一室に理想のバーを再現してホームバーなどと称し、ひたっている自分も、充分酔狂で愚かなのだと、はたと気づく。




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この頃、路を行くとき、他の方の家の庭先の桜がとても綺麗に咲いていて、その花の美しさのお裾分けを勝手に頂いているような気がします。


この数日の盛りのために、残りの350日余り、何の面白みもなく誰にも見向きもされない桜の木を丹精して、花を咲かせる努力に頭が下がります。


そのような桜を守る方の心の支えは何なのでしょう。


やはり桜が好きだから自分が注力する、そして自分が桜を護ることで誰かが継いでくれて、さらに後世に桜が残っていくのを願うという想いは、どこか古典など伝統芸能に携わる人の気概に似ているかもしれません。




「吉原風流」は吉原という現在ではあるイメージがついてしまった地名を使い、もう少し違う形で描けないかと思いました。


「二階ぞめき」は、名人古今亭志ん生が得意とした噺。「ぞめき」とは騒めきと書きます。遊郭などで冷やかしで歩くこと、あるいはその際に狭い路上ですれ違い時にぶつかったりして喧嘩が起きることを言います。当時は喧嘩は江戸の華ですから。


あるお店の若旦那幸太郎は吉原通いが大好きで、真面目な大旦那の父親はカンカン。そこで、店の番頭が取り成し、若旦那に対し、家の二階に吉原の通りを作ることで、二度と吉原に行かないと約束させる。そして、番頭は腕のいい棟梁に頼み、吉原を調べて、見事な吉原遊郭を家の二階に造り上げてしまう。ただし、花魁その他、人は誰もいない(笑)


ここで、幸太郎が一人で花魁役もやり、それと喧嘩してしまい、通りがかった別の客も幸太郎が成りきって仲裁する、といった噺が続きます。なかなか粋であり、また話が大げさで、艶があり、僕の好きな噺の一つです。


幸太郎はこう言います。別に女性が好きで吉原に行くのではない。吉原の雰囲気が好きなのだと。


これは全く同様のことを、現代でも人は言いそうです。銀座の女性(あるいは酒や食事etc)が好きで行くのではない。銀座の雰囲気が好きで行くのだ、と。銀座のところは、六本木でも、歌舞伎町でも何でもそれぞれに好きな場所の名前が入るのでしょう。おおよそこういうことを言う人は粋で風流を解するのかも知れませんが、人としての器量が追いつかないと財産を失くしますww


僕も、いつか家にホームバーを作りたいなと思っています。この小説内の「自分」はあくまで小説上の創作です。家にホームバーを作るのは、ささやかな夢か風流であり、二階ぞめきのような豪勢ともあれだけの没頭ぶりからは差がありますが、それでも若旦那幸太郎の類型なのかも知れません(笑)