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日曜のマチネで、観に行きました。

場所は渋谷のシアターコクーン。年末にケラさん版の「祈りと怪物」を観てそれ以来。
席は前から数列目となかなか良かった。昼13時開演なのに、ホワイエにて生ビール飲んでから観劇開始ww

(イントロダクション)
安保闘争・労働争議などが湧き起こる、高度経済成長期の、60年代日本。
これは、そんな時代の趨勢とは無関係に生きていた、「寄生虫」を研究する、ある変わり者の教授と、教授を見つめ続けた助手、また、それを取り巻く、“時代”を生きる人々の物語である。社会とは無関係に生きているかに見えた“教授”だが、彼が唯一、社会との接点を持ったのは、「流行歌」を愛したことであった――。
60年代は政治の時代であるとともに、「流行歌の時代」でもある。性別・世代を超え、日本中の人々が同じ「流行歌」を、生きるうえでの伴侶としていた時代。
60年代を代表する作家・時代の寵児と言えば、間違いなく五木寛之だろう。本作は、五木寛之の流行歌にまつわるエッセイ「わが人生の歌がたり」に着想を受け、現在、世界中で一躍ブームを巻き起こしている「昭和歌謡」の世界観を色濃く匂わせながら、オリジナルの演劇作品を鈴木勝秀が書き下ろす。

出演は、『ベント』『レインマン』『異人たちとの夏』で、鈴木勝秀と抜群のコンビネーションを発揮してきた椎名桔平。鈴木勝秀のオリジナル作品で二人がタッグを組むのは、意外にも、本公演が初となる。
また近年、積極的に舞台作品へ挑戦し、高い評価を得ている田中麗奈や、舞台やドラマ、映画での活躍が目覚しい高橋一生をはじめ、個性的な実力派キャストが揃った。また劇中では、中村中が「アカシアの雨がやむとき」「喝采」など、昭和歌謡の数々の名曲を歌い、主題歌には、中村の曲に五木寛之が本公演のための詞を書き下ろす。
硬質ながらも、切なく愛おしい劇世界が誕生する!


(感想)
世の中を席巻した学生運動や、高度経済成長といった社会の動きに背を向けて、一人「寄生虫」の研究に没頭する「教授」。

教授は寄生虫を海外から日本に持ち込むため、またその後の研究のため、体内に寄生虫を入れて生活しています。それは実際、寄生学の大家、藤田紘一郎教授が長年体内にサナダムシを入れている有名なエピソードにも準拠しているのでしょう。

しかし、椎名桔平演じる「教授」の持つ諦念や虚無は、より深い。教授の諦念、虚無の理由は、後で明かされるところによると、夏目漱石の「こころ」に似たところがありますが、寄生虫を体内に入れて、寿命を短くなることも受け入れるところは、「緩慢な自殺」を志しているようです。

寄生虫という研究自体が、日本の公衆衛生を発展させ、日本から寄生虫が撲滅されていくことにより、自らの寄生虫の学問としてのフィールドを狭めていくという、自己矛盾。日本が戦後の混乱を終わらせ、豊かになっていくにつれ、学問としての必要性を喪っていく領域の研究。

学生運動の夢と理想を喪い、研究室に逃げ込んできた田中麗奈演じる女子大生は、そんな教授の姿と生き方に惹かれて、その研究室の助手となり14年を過ごす。


途中、教授たちの間で繰り広げられた議論はとても興味深かった。「豊かさとは」「思想とは」「社会のためとは」「歌とは」などなど。鈴木勝秀さん一流の味つけで軽妙なやりとり。ただ、観客はイマイチ乗れていなかったかも。そんな難しいやりとりではなかったけど。ただ、経済発展で日本がいろいろと喪ってしまった、もっと大切なものがあるだろう、的な考え方は、ちょっと観念的・図式的に過ぎて、あまり正確な思想でもないし、深みを持って自分には入ってこなかった。


「教授」は、しかし世の中に背を向けているようで、その時代時代の歌謡曲をこよなく愛している。教授の、あるいは社会の人々の心情に寄り添うものとして、歌謡曲が使われている。


「アカシアの雨がやむとき」「サーカスの唄」、「恋のバカンス」、「出発の歌」、「夜明けのうた」と中村中のピアノの弾き語りが芝居のところどころに挟まれていく。歌は良かったが、当時の日本の時代の体臭らしきものが立ち上ってくるかというと、編曲されて洗練され過ぎていて少し疑問。


しかし、椎名桔平の演技は抑制が効いていて、「教授」という存在が遊離することなく、自分にはきちんと受け止めることが出来ました。

なお、前日に観た「アンナ・カレーニナ」の山路和弘さんと椎名桔平さんは三重の同じ高校の先輩後輩の関係だそうで、だい。が「教授」を観に行くと知った山路さんご本人からブログのコメントにて教えていただきました。


1時間50分ほどで終演。その後、昭和歌謡クロニクルと称し、毎日異なるゲストが登場されるアフターライブがありました。

だい。が行った日は山崎ハコさんでした。今回の芝居が五木寛之の流行歌にまつわるエッセイ「わが人生の歌がたり」に着想を受けていることから、五木寛之原作の映画「青春の門」のテーマ曲である「織江の唄」を中村中と一緒に歌われました。この曲は五木寛之作詞、山崎ハコ作曲で、筑豊の薄幸の少女のことを唄った歌です。じわり、ときました。昭和歌謡はなかなかいいものです。世界的にもブームだそうですが。

どうでもいい話なのですが、麻雀用語で「ハコ」といって、自分の持っていた点棒をすべて失うこと、負けの確定のことを意味する言葉があります。だい。も麻雀でハコとなるたびに、「ハコだハコだ、山崎ハコだw」と声をあげていたことを思い出しました。←最後に何とも薄っぺらい感想でこの劇評?を締めることになり、ゴメンナサイwww どこかに書いてしまいたかったので。