先週の日曜の話となってしまいましたが、隅田川七福神巡りの写真をアップします。


隅田川七福神巡りの予告編


七福神巡りは元旦から七草(七日)まで、ご開帳されている神々を善男善女がお楽しみもかねて参拝するもの。東京には30か所も七福神のコースがあるようです。さらに一つの寺社内に全ての七福神が揃っているところも20数か所あるようです。


七福神をおまつりする各寺社で色紙に神号や朱印を押してもらったり、各寺社で七福神のご分体を集め、宝船に並べて飾る楽しみもあります。

普通は浅草側の、隅田公園や牛島神社からも近い、三囲(みかこい)神社を七福神巡りの出発点とし、北に歩いていくようなのです。七福神の宝船が下流から上流に上がっていくのになぞらえて。


しかし、過去の七福神や下町歩きの経験から、それでは混雑するかも、ということで逆回りをするプランとなりました。上流の東武線堀切駅に午前中に集合してスタート!スカイツリーを目印に南に下って行きます。



全体で3キロほど。ただひたすら歩くだけで一時間足らず、ご参拝時間も入れて二時間ほどの、足にも優しい七福神巡りのコースですww



ちなみに、だい。の家から堀切駅に行くのに、最初は漠然と浅草まで出て、それから東武線に乗り換えかなぁ、なんて考えていたのですが、日暮里から北千住経由で行くルートを発見しました。これで15分以上短縮となり、こいつは新年早々縁起がいい←こういったことでも喜べて、僕は幸せ者ですww



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ということで、堀切駅から徒歩数分で、多門寺に到着。ここは毘沙門天様がおまつりされています。





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茅葺の切妻造の山門。縁起を見ると、江戸中期のものだそうです。数々の火事や関東大震災、空襲を生き残り当時の様式を今に伝える、貴重な建築だそうです。墨田区最古の建造物だそうです。



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本堂。しっかりお祈りしました。本尊の毘沙門天は弘法大師の作と伝えられています。なお、毘沙門天はインドの財宝の神様ですが、「よく聞く所のもの」という意味があり、「多聞天」とも言います。ということで、このお寺の名前「多聞寺」につながっているのですね。




毘沙門天は財宝の神で、また悪を退散させる武神でもあります。



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東京大空襲で被災した浅草国際劇場の鉄骨です。このお寺の境内には、当時の被害を伝える遺物がいくつか展示され、仏教の非殺生の教えが説かれていました。



このお寺の境内には狸塚いうものもありました。そのいわれは、本堂の前に住む妖怪狸がいつも村の人をたぶらかしていて人々を困らせていたので、この寺の和尚さんが祈ったところ、毘沙門天の使いが狸を懲らしめた。翌朝、お寺の前に狸が死んでいたことから、それを供養して塚を築いたとのことです。


そこから、墨堤通りを行きました。今回の七福神巡りは計4名。うち2人は初対面の方でしたが、すぐに打ち解けて、いろいろ話をしながら散策しました。


主催者の方は分厚い地図を持っておられ、また僕の知人の方は今の地図と古地図が対照として示された地図を持っておられました。この古地図対照の地図は下町散歩に良さそう。




ただ、だい。が地図アプリで皆さんをガイドしたので、重宝されましたww 




そして途中で見つけた服部セイコーの時計博物館。みな、自然と入っていきました。



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実は、だい。はここのところ、腕時計の一生ものを買おうと虎視眈々と狙っておりました。今付けている腕時計は、フランスの会社の時計のもので、若手のころおおよそ給料の1か月分で買いました。しかし、最近はやはり一生ものの時計を買いたいと、スイスの会社やセイコーさんのグランドセイコーを比較したり、いろいろと調べているところでした。


なので、この博物館に出くわしたのは、ちょうどタイミングが良かった。

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グランドセイコーの歴史を展示。やはり、いいデザインです。心揺れました。




このあたりで、カメラの電池切れ発生ガーン 以下はスマホの写真です。


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そして、二つ目の七福神。寿老神です。普通は寿老人と書くのですが、神社にお祭りされている場合は人ではなく神と書くそうなのです。長寿の神様です。







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そして、向島百花園の中におまつりされている福禄寿尊へご参拝。
まだ梅も咲いていませんでしたが、いろんな文人の碑もありゆっくり回るには楽しいところでした。

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百花園の草花にちなみ、福禄寿が本草の神ということでこの像を愛蔵し信仰されたもののようです。

正月以外は、近くに位置する先ほどの白鬚神社におまつりされているようです。




長命寺に近づいてきたあたりです。


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そして、一行には言問団子を買う人も買わない人も。こういった老舗は結構お高いのですあせる



なお、言問通りや言問橋の由来となったのが、在原業平の有名な歌「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」によるもの。なお、都鳥とはユリカモメのこと。



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桜とスカイツリー。この桜は冬桜です。花見の時期に先んじて、スカイツリーをバックに撮ってみました。



このあたりは、桜の時期にはとても綺麗だそうです。




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野口雨情の歌碑もありました。このあたりの風情を愛した野口雨情が、昭和8年頃、この地を訪れたときに詠んだものだそうです。


その他、正岡子規の仮寓の地だったそうで、案内板がありました。






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長命寺は名物の桜もちで知られていますが、我々はそのようなスイーツには目に呉れずw、本来の目的のご参拝。



芭蕉の雪見の碑もありました。






墨堤通りから一筋入った、見番通りを行きました。置屋は近代風のビルになっていましたが、そのあたりは風情がありました。



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弘福寺。黄檗宗のお寺は東京では珍しいらしい。ここ、森鷗外の葬儀も営まれたところだそうです。




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中国風の特色の禅宗の造りです。






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遅い昼食を「向島七福・すずめのお宿」というお店で摂りました。店構えも落ち着いた感じでした。



写真は僕が頼んだ江戸蕎麦です。江戸時代、醤油が普及する前は、蕎麦汁は味噌味だったそうです。(蕎麦汁が二つあるうち、向こう側です。手前側は普通の醤油汁です)

味噌味の蕎麦汁におろし大根や蕎麦の実、浅葱を入れて食べます。思ったよりさっぱりしていて、同じものを食した人にも好評でした。


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デザートとして、黒蜜とあんず味のところてん。甘すぎず、さっぱりとして美味しかった。

かなり満足のお店でした。










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料亭前の門松。寸胴(横に切った)角松です。寸胴の門松についても、その由来を教わりましたが、武田がなんやら徳川がなんやら、長くなるのでまた今度のブログに書きますw



そして、七福神最後の三囲神社。

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この神社は、三井財閥の守り神。大阪から東京に三井家が移ったころから、神社の名前に由来して信仰され始めたようです。いまだに三井家や三井グループ各社から篤信され、年に何度か、三井グループ各社の人たちが集まり、大祭を執り行うという話を聞いたことがあります。


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三越池袋店が閉館したため移設されてきたライオン像。




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恵比寿様と大黒様をおまつりしています。






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珍しい、三方向の鳥居。これも、三井家の庭から移設されたもののようです。




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そして、三囲神社から歩ける範囲のスカイツリーへ。


上から氷が落ちてくると危険なので、それを監視し注意を促すため、大勢の監視員の方が空を見上げておりました。


その後、浅草で初詣をされていた別のメンバーと合流し、打ち上げの飲み会。浅草は夜のスタートが早いです。三時四時から呑み始めるのも日常茶飯事w


とても楽しい街歩きでした。また次回以降のこのメンバーによる街歩き会にも参加したいと思います。




今回は鳩の街通りや寺島町など、向島の昔の色街には今回は足を運びませんでした。また、このあたりも歩いてみたいな。濹東綺譚や寺島町奇譚など、先月ブログに書いた縁もありますし。


読書「濹東綺譚」永井荷風と「寺島町奇譚」滝田ゆう  


ということで、とても長いブログになってしまいました。ここまで読まれた方、お疲れ様でした。