「一生のうちに一度は行きたい伊勢参り」ということで行ってまいりました。
新年にあたり、歴史と伝統を現代に伝える神宮にお参りすることで、自分を見つめなおす機会が欲しかった、というと格好良過ぎますか。
ただ、世の中の物事の変化の速度が上がり、その変化に順応するにしろ抵抗するにしろ、人々が自分自身を見失いかねない現代において、日本の太古から変わらぬしきたりを護持してきた実態を自分の目で直に見てみたいという気持ちが以前からありました。
歴史や伝統を保ち守っていくことにどのような意義があるのでしょうか。おそらく、100あるもののうち99は、時とともに形を変え、あるいは実質も変えることで、生命を永らえ、発展を目指していくのでしょう。時代の変化に対し、翻弄されながらもなんとかあらがって生きてきたのが人の歴史だったと思います。
しかし、日本でも数少ない、伊勢神宮のこの域内は、1300年の昔から、変化せず同じ形式を保ち、同じ手順・手続きでおまつりを執り行ってきたのでしょう。変わらずに続けることそれ自体に意義があるというような。人が変わるとしても、神は変わらない、だから人は神と向き合うことで自分を見つめなおすことができるのかも知れません。
昔から皇室や貴族から民衆までの尊宗を集めてきた伊勢神宮。たとえば江戸時代の末期にも「ええじゃないか」のお蔭参りで人々が伊勢参りに殺到しました。当時、奉公人が勤め先に何も言わず、またある人達は家族にも何も言わずに参拝の旅に出る、「抜け参り」が流行しました。そこまで人々の心を捉えてきた伊勢参りです。諸外国により開国や尊王攘夷など、当時の変わりつつある時代にどこか人々が不安を感じ、日本の大本である神に頼る気持ちがあったのかもしれません。
そしてちょうど今年の2013年、1300年にわたり、20年ごとに社殿や神宝の一切を一新してきた「式年遷宮」を今年の秋に控えています。その前に苔むした正宮にお参りしておきたかったということもありました。
弥次さん喜多さんが伊勢参りをする東海道中膝栗毛ではないですが、今回はバスツアーだったので珍道中ということも無く、気苦労も骨折りもなく、伊勢にお参りできました。
今回は外宮には行けず、内宮のみの参拝でした。時間は2時間40分ほどあったので、しっかりと時間を過ごすことができました。
冷たく清らかに澄み切った空気の中、こころを安らかに落ち着けて、境内に長く伝わる檜林や清らかな川に宿る神々に心の耳を傾けました。どこか自分の中で響くものを感じました。
以前、古事記や日本書紀を高校大学の時に読んだことがありました。おおらかで結構ぶっちゃけている古事記に対し、国の歴史書としての形を整えようとした日本書紀など、なかなか面白かったです。ただ、そんな神話に関する前知識などなくても、日本の神々の気配は心で受け取るものです。
そう、言葉や理屈ではなく、身をひたし心で受けとめる、そういう同調が日本のあり方です。これには賛否両論がありえます。言葉や理屈でないため、異なる文化や民族へ理解は広がりにくい。ある種の思考停止につながり、国家神道として軍国主義化へ無批判に突き進むのに利用された、日本特有の空気を読む文化などなど。
ただ、神道それ自体は太古からなにも変わることなく、日本といく国と民に寄り添ってきたものなのでしょう。
2時間ほどの参拝で、心洗われました。今回は皇室のご祖神の天照大神をおまつりする内宮(皇大神宮)だけの参拝でしたが、今度は衣食住をはじめあらゆる産業の守り神をおまつりする外宮(豊受大神宮)にもお参りしたいものです。また、出雲大社にもいつか行きたいな。
神宮内で写真は撮らなかったのですが、数少ない写真を。