2023/06/18に訪ねた久慈川水系、
令和元年東日本豪雨災害からの復旧状況確認ツーリングから、
昨日に続いて、新落合橋のすぐ上流にある八幡橋の直近6月の様子など。
場所はこちら。
すぐ500mほど下流には新落合橋がありまして、
ここにこの橋は必要なのか? と、少々疑問にはなりますが、
実際に、令和元年東日本豪雨災害では落合橋が大破してしまったけれど、
ひとつ前の記事の通り、その時にもこの八幡橋は渡れる状況だったおかげで、
最小限の回り込みで対岸の様子も確認できたことを考えれば、
地元にとっては、ここにこの橋があることは幸いでしょう。
それよりなにより、
木造の地獄橋という景観は、常陸太田市の個性を語る上でも欠かせません。
このね、作り物ではない、昔ながらの自然な景観。
良いですよね。
さて、この取付道路を橋に向かって下っていくと、
まっすぐに下って左に曲がる辺り、土手の斜面側に立っているのが、
河川敷占有許可標識。
これがない橋も多いのですが、常陸太田市辺りではかなり真面目に設置されています。
そして何よりも、目的のところを見ていただくと、うっすらとして読みづらいものの、
『橋梁(八幡橋)及び取付道路』との記載があり、
親柱がないために、橋単体ではわからない橋のお名前を現地で知ることができるのは大切です。
そして、その右横には、依然来た時にはなかった、
大河ドラマで使われたことをアピールする看板。
西郷どん、見てなかったんですよね……。
何かで見られる機会があれば、ぜひともしっかり見てみたい(橋を)。
それにしても、
周囲で漁師が盛んに船を出している様子は、
落合橋とは対照的に、通行する人が少ない(車は結構通る)八幡橋とは対照的。
甲突川の高麗橋ってどこだろう?
と、調べてみてなるほど。
鹿児島中央駅から東に700mくらい?
立地としてはちょうど鹿児島城のお手門から南に1kmという辺りだから、
それなりの賑わい描写も納得ですね。
鹿児島には今のところは旅行の予定はないけれど、
鹿児島市内を走ることがあれば、ぜひとも高麗橋も見てみたいものです。
さて、それでは本題の高麗橋ですが、
家を出るときの想定としては、あの状況であれば掃除だけしてそのままだろう。
……と、思っていたわけですが、
うん、これは上部構造だけでなく、
橋脚などの下部構造や、流木除けまで新落合橋と同じタイミングで架け替えられていますね。
調べてみると、どうも開通してまだ1年そこそこと新しいようです。
腐食防止の目的もあって分厚く塗られた焦げ茶色の塗装がテカテカですが、
手前から2つ目の橋脚の前にある流木除けの柱は、すでに塗装も剥がれまくりつつ、
下から現れた地肌はまだ新しさを感じる色合いですね。
う~ん、架け替えられたのか……と、
微妙に納得できないもやもやを感じつつ、橋を眺めます。
ですがまぁ、ひとつ前の記事でも触れたとおり、
令和元年の東日本台風豪雨では損傷こそしなかったものの、
明らかに橋の上、路面の排水能力が失われた様子でした。
そして、周囲には復旧を急がねばならない土手や橋が幾つもありました。
それを考えれば、八幡橋を後回しにした結果として木材が腐ってしまい、
架け替えた方が無難な状況になってしまったのではないかと想像するのですが、
こんなことなら、もう少しこまめに訪問しておけばよかったですね。
想像の域を出ません(^^;)
さて、こちらが橋を渡っての振り返り。
少し前の流木除けを撮影した写真の方がわかりやすかったのですが、
対岸の橋より少し高い辺りには直近増水時のハイウォーターマークの枯れた葦束。
令和元年ほどではないにせよ、台風シーズンは毎年1度は冠水するような、
そんな久慈川水系ではおなじみの地獄橋(久慈川水系での冠水橋の呼び方)でした。
映画や大河ドラマにも登場した橋の架け替えは微妙に残念ではありますが、
こちらもまた、架け替え後も木製の地獄橋としての新造はうれしい限りです。
20年くらい前に冠水橋や地獄橋を追いかけ始めたばかりの頃は、
いずれ消えゆく文化だと思っていたんですけどね。
ホント、見込みが外れてうれしい限りです。
次回は直近の八幡橋の360°カメラでの写真など。
補足として、
2019年の訪問の際にはこのまま里川沿いの地獄橋をいくつか訪問した後、
木橋の新川戸橋を通過して、台風豪雨での久慈川堤の決壊地点の方に向かったため、
この先、今回のツーリングと2019年ツーリングとで交差するポイントは、
新川戸橋だけになります。