三島通庸通信 | 水辺の土木遺産

水辺の土木遺産

水辺の土木遺産、冠水橋や流れ橋、石橋やレンガ樋門など、自転車で見て回りながら、ついでに狛犬なんかも追いかけています。



残業で遅い上に早出で余裕がないのでちょいネタで。
廃道マニアには有名な三島通庸さんのこんなものが発行されていましたw

 

追記:

廃道マニア以外の一般の方には馴染みのない名前かと思いますので、

三島通庸(みちつね)という人物についての補足など。

 

三島通庸は幕末の薩摩藩に生まれて、

食うや食わずの貧しい生活をしていた下級武士でした。

それが、明治には酒田県の県令、今でいう県知事に抜擢された後、

わっぱ騒動を早期に弾圧、もとい鎮圧……も聞こえが悪いので終結させた功績から、

酒田県が周囲と統合されて現在の山形県が出来た時に、初代県令として赴任。

 

土木県令とも呼ばれた三島通庸が特に力を入れたのは道路政策で、

特に有名なものは、この三島通庸通信創刊号でも大きく扱われている

萬世大路(ばんせいたいろ)でしょう。

 

ただ、土木県令なんて言うと、今風にコンクリートと箱物政策の様に聞こえてしまいますが、

当時はそもそも米沢から福島に向かうルートが、今の登山道のような道しかなかった時代で、

明治の物流という観点でいえば陸の袋小路だった米沢から福島方面に、

車の通行が可能な道路を新規に通すという事業は、

現代でいうなら青函トンネル開通や、瀬戸大橋の開通のような一大プロジェクトで、

これにより、地産地消か一旦酒田まで運んで海路で日本海に出荷することしかできない県産品を

福島や、その先に広がる関東平野に出荷できるようにしたといった意味でも、

山形経済の基礎を築いたと高く評価されるのも納得です。

 

ただ、県令としてのキャリアのスタートが弾圧で始まっている通り、

剛腕を振るう米元大統領のトランプさんのような敵も多いタイプの政治家ということもあり、

山形の次に赴任した福島、栃木での県令時代には土木事業も思うように勧められず、

大きな軋轢を生んでいます。

 

一応フォローしておくと、

私の知り合いの福島市民は今でも薩摩や明治政府のことを悪く言います。

福島市民は今でもそれくらいに、幕府方として戦ったことにこだわりをもっているわけで、

その第一世代の上に薩摩閥の三島通庸を置けば、そうした結果になるのは仕方のないことだったでしょうし、

中央から望まれていたのも、力による抑えつけだったのでしょう。

 

なお、三島通庸をトランプ型と評したくなる理由の一つに、

お抱えの西洋画家の高橋由一を利用したセルフプロデュースの巧みさにあります。

高橋由一の画風は日本画の風景画に見られるような特徴を強く誇張する画風を残した写実画で、

ちょっとした崖沿いの橋を、千尋の谷を渡る橋の様に描くのですが、

造らせた道路を高橋由一に描かせて、明治時代の印刷技術も利用して、中央に成果をアピールしたようです。

 

また、福島・栃木では成果よりも悪名を轟かせた三島通庸ですが、

当時の貴族や華族がこぞって開墾に乗り出してさながら貴族の荘園のようだった

栃木県那須野が原の開墾の中では、三島通庸の三島農場では明治時代にトラクターまで導入して、

先進的かつ、小作人の扱いも周囲の農場と比べると際立って扱いが良かったようで、

牧場跡地に立つ那須野が原博物館前にある三島神社では、今も祭神として三島通庸が奉られて、

地域では今も感謝されているようです。

 

さて、三島通庸通信創刊号は「初代山形県令三島通庸をNHK大河ドラマに」という趣旨ですが、

正直、三島通庸ファンの廃道マニアでも、『問題の多い人だし、無理じゃね?』とか思うところですが、

改めてこうして書いてみると、山形県令としての萬世大路開通辺りにピークを持って行って、

福島・栃木県令や警視総監時代をサラッと流す感じであれば、

割と良い感じにまとめられるのかも知れません。

 

それでもなかなか難しそうだとは思いますが、

あんな廃道やこんな廃道が大河ドラマで紹介されるかも知れないと思うと、

無理を承知で、是非とも大河誘致を頑張ってほしいと思う次第です。