2020年9月末に7泊8日の旅程で自転車で訪ねた高知ツーリングの四日目、
そろそろこの日の宿をどうするかを考えるような時刻に訪ねた早瀬の一本橋。
全国の広い地域で流れ橋を見てきたつもりですが、
これだけの橋板の流れ橋は、殆ど記憶にありません。
実際に渡ってみると見た目以上に驚かされます。
こちらは振り返ってのものですが、1径間が8mないし9m程度と、
木造橋の1径間としてはほぼほぼ最大規模で、板と呼ぶかは微妙な、
角材としてさえ破格の幅と厚みではあっても、まがりなりにも1枚板。
にも拘わらず、
橋を渡った時に殆ど揺れや撓みを感じません!
まぁ、これだけの木材なのですから、それも納得ではありますが、
それにしたって1径間9mの1枚板(?)で、揺れも撓みも感じない流れ橋とか、
ホント、驚異的です。
そしてこちらが進行方向。
こうしてみると、それなりに頻繁に流出しそうな流れ橋でありながら、
流出後に原状復帰を楽に行うことを重視されていないように見えるのが、また不思議です。
流れ橋、
東日本では秩父近辺か岩手の陸前高田周辺辺りが際立って盛んな地域でしょうし、
西日本でなら、岡山県辺りが特に盛んな地域だと思われるのですが、
こうした地域では流出後の復旧の経験値が多いだけに、
流出時に橋板が破損しづらく綺麗に流出するように、流出後の復旧が容易なように、
考えられて造られているものです。
例えば集落があって、そこから対岸に渡る流れ橋であれば、
川が増水して橋板が流れ出す台風や大雨の時には、人は家に籠っているものです。
ですから、橋板は集落の側に流出させて、戻しやすくするのが一般的です。
流出時には川が増水中で橋板がぶつかり合えば傷んでしまうから、
さっさと綺麗に流出させるか、持ち上げて流出の頻度を下げるような工夫をするものです。
それなのに、
なんでこの地域では橋脚が川上に向かって高くなっているのか?
これだと橋脚が流木などでダメージを受けやすくなってしまうのに……。
なぜ、橋板同士を連結する鋼線ワイヤーを橋脚の川上側に取り廻すのか?
これだと流出時に引っかかって、橋板同士がぶつかり易くなってしまうのに……。
しかも、それほど多い数ではありませんが、
この周辺でみた一本橋では、この取り回しが標準なのです。
何故、集落の中心に近くてアクセス路の良好な川の右岸西側に1径間、
対岸に2径間を連結しているのか? これだと戻すときに大変そうなのに……。
と、色々と不思議な点も多かったりしますが、それにしても凄い流れ橋です。
余談ながら、ご近所の吉村寅太郎邸には早瀬の一本橋を村人総出で直している写真もありましたが、
受付の方に聞いてみると、普段はやはり、流出した橋板は重機で直すことが多いそうです。
この辺りは岡山の行政管理の流れ橋などと同様ですね。
というか、
これだけの木材で、さらに水を吸って重くなると、
人の手で直すのは本当に大変ですよね。
さて、対岸はこんな具合。
錆びた鋼線ワイヤーが、割合新しい錆びていない鋼線ワイヤーに接続されて、
それが少し高い場所にある樹木の幹に係留されています。
そうしてこちらが振り返り、本当に見事な流れ橋でした。
この後で吉村寅太郎邸を覗きましたが、普通の観光地なので、そちらは省略。
この橋の次に足を止めた橋は、既に紹介済みの下野大橋です。
早瀬の一本橋から国道197号線に戻る途中で偶然に見かけた見た目は単なる普通の橋。
なのですが、橋と並走して北川を横切るように、飾りの吊るされた注連縄が渡されているという、
道切りとか、勧請縄と呼ばれるようなものの、川切り版が併設された橋。
なお、この橋の飾り付けは七夕様とのこと。
また、これから向かう先の国道197号線沿いには、
金剛跋扈(こんごうばっこ)という魔除けの大わらじと一緒に、
集落の入り口の辻を切る道切りの注連縄も確認できたことから、
下野大橋の七夕飾りも道切りの変形と見て良さそうです。
今でこそ川からずっと高い位置を渡された抜水橋ですが、
過去には沈下橋の横を、川切りの注連縄が渡されていたのではないか?
それより前には、早瀬の一本橋のような流れ橋の隣に川切りの注連縄が渡されていたのではないか?
そんな光景を想像しながら、この日の野営地を目指します。
下野大橋を散策した後に、時間的にもそろそろ宿を予約する必要に迫られました。
地図を見ると道の駅ゆすはらには、ホテルと、ライダーハウスと、キャンプ場がそろっていました。
テントと寝袋を持ってきていることですし、ここはキャンプ一択でしょう。
キャンプ場の予約ができたので、受付時間内に到着するために先を急ぎます。