久しぶりに埼玉編に戻りまして、杣殿樋管の次に立ち寄ったのが松原堰。
廃止された煉瓦と石でできた松原堰は、こんな感じの、のどかな道路のすぐ脇にあります。
場所はこちら。
恐らくこちらが元の上流側でしょうか?
埼玉の煉瓦樋門・樋管の通例通り、表側には名称が刻印されています。
周囲をぐるりと煉瓦で取り囲み、元は内側は同じ高さに土が入っていた感じでしょうか?
差蓋や角落としと呼ばれるような、一枚ずつ板を落として堰き止めたり、水を貯めたりするタイプですね。
裏側から見るとこんな具合。
現在では側溝を跨ぐ形ですが、それでも若干は往事の雰囲気が残されているのが救いです。
逆光で分かりづらくてすみません。
近づくともちろん、裏側には、明治三十四年五月竣功と掘られています。
石のゲートの補助として、片側にだけ煉瓦の支えが付いています。
そして、綺麗に弧を描く形で煉瓦を積まれて、天端部分は縦に小口を積む。
こちらも埼玉では標準的なスタイル……なのですが、モルタルが剥がれた箇所を見ると……。
上に塗られた保護用のモルタルが剥がれた箇所を見ると……雑ですねぇ。
残念ながら、あまり尊敬できる仕事ぶりではありません。煉瓦樋門の上にコンクリートモルタルを塗って居るのは立派な仕事ぶりの樋門にも見られるのですが、ここの場合には雑な仕事を隠すという意味合いも強いような……。
それでも、小さな側溝に作り替えられても、一旦は石橋部分を取り外してまで水路を跨ぐ形で保存した、この地域の住民と、そうして大切にされるだけの、堰としての仕事をしたのでしょう。
煉瓦樋門そのものよりも、保存のされ方に感心をさせられた、煉瓦樋門跡でした。