鹿児島最後は
知覧特攻平和記念館へ。
やはり特攻兵の
深い想いの遺書が
いたたまれない・・・
涙とともに
また胸の中で
熱い想いが・・・。
日の丸のハチマキ
を閉めていく。
「身は一番 南の島に 散りぬるを
魂魄永久に 皇國を護らん」
みはいちばん 南の島に 散りぬるを
こんぱくとわに こうこくをまこらん
23歳の若者たち。
私たち子孫が
平和な世界に
住めますように。
その想いを込めて
沖縄の洋上で散華する。
ますます私たちが
やるべきこと、
今いかに自分を生かしていくか。
ひしひしと感じます。
ありがとうございます。
記念館の中にもあった
昭和20年終戦の時の
昭和天皇玉音放送の
現代語訳。
本当に本当に
素晴らしいあり方。
これを私たちが
生きていくべき・・・。
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昭和天皇 玉音放送 昭和20年8月15日
現代語訳
私は、深く世界の情勢と日本の現状について考え、
非常の措置によって今の局面を収拾しようと思い、
ここに忠義で善良なあなた方国民に伝える。
私は、日本国政府に、
アメリカ・イギリス・中国・ソ連の
4国に対して、
それらによる共同宣言(ポツダム宣言)を
受諾することを通告させた。
そもそも、日本国民の平穏無事を確保し、
すべての国々の繁栄の喜びを分かち合うことは、
歴代天皇が大切にしてきた教えであり、
私が常々心中強く抱き続けているものである。
先にアメリカ・イギリスの
2国に宣戦したのも、
まさに日本の自立と
東アジア諸国の安定とを
心から願ってのことであり、
他国の主権を
排除して領土を
侵すようなことは、
もとより私の本意ではない。
しかしながら、交戦状態もすでに4年を経過し、
我が陸海将兵の勇敢な戦い、
我が全官僚たちの懸命な働き、
我が1億国民の身を捧げての尽力も、
それぞれ最善を尽くしてくれた
にもかかわらず、
戦局は必ずしも好転せず、
世界の情勢もまた
我が国に有利とは言えない。
それどころか、敵国は
新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使い、
むやみに罪のない人々を殺傷し、
その悲惨な被害が及ぶ範囲は
まったく計り知れないまでに至っている。
それなのになお戦争を継続すれば、
ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、
さらには人類の文明をも
破滅させるに違いない。
そのようなことになれば、
私はいかなる手段で
我が子とも言える国民を守り、
歴代天皇の御霊(みたま)に
わびることができようか。
これこそが私が日本政府に
共同宣言を受諾させるに
至った理由である。
私は日本と共に
終始東アジア諸国の解放に
協力してくれた
同盟諸国に対して、
遺憾の意を表さざるを得ない。
日本国民であって戦場で没し、
職責のために亡くなり、
戦災で命を失った人々と
その遺族に思いをはせれば、
我が身が引き裂かれる思いである。
さらに、戦傷を負い、
戦禍をこうむり、
職業や財産を失った人々の生活の再建については、
私は深く心を痛めている。
考えてみれば、
今後日本の受けるであろう苦難は、
言うまでもなく
並大抵のものではない。
あなた方国民の本当の気持ちも
私はよく分かっている。
しかし、
私は時の巡り合わせに従い、
堪え難くまた忍び難い
思いをこらえ、
永遠に続く
未来のために
平和な世を
切り開こうと思う。
私は、ここにこうして、
この国のかたちを
維持することができ、
忠義で善良なあなた方国民の
真心を信頼し、
常にあなた方国民と共に
過ごすことができる。
感情の高ぶりから
節度なく争いごとを
繰り返したり、
あるいは仲間を
陥れたりして
互いに世情を混乱させ、
そのために
人としての道を踏み誤り、
世界中から信用を
失ったりするような事態は、
私が最も強く
戒めるところである。
まさに国を挙げて
一家として団結し、
子孫に受け継ぎ、
神国日本の不滅を固く信じ、
任務は重く道のりは
遠いと自覚し、
総力を将来の建設のために傾け、
踏むべき人の道を外れず、
揺るぎない志を
しっかりと持って、
必ず国のあるべき姿の
真価を広く示し、
進展する世界の動静には
遅れまいとする覚悟を
決めなければならない。
あなた方国民は、
これら私の意をよく理解して行動してほしい。