自分の経験する現実は
自分の周波数を映し出してるもの
メルマガ読者より
質問をいただきました。
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おかげさまで、自分褒めを一年半ほど続けてて、
ネガティブ感情をとにかくひたすら
クリーニングし続けていたら、
最近自分のマインド
(インナーチャイルド?)の
実態をありありと掴めるようになってきて、
四六時中マインドと対話して
自分を慈しむということができるようになり、
自分に対する愛情が止まらない感じです。
毎日がハッピーです!
ところで、ふと疑問に思ったんですが、
自分の経験する現実は
自分の周波数を映し出してるもので、
そこから自分の周波数帯に気づいて
クリーニングしていきますよね?
それで波動を上げていくと、
徐々にネガティブな波動がない
周波数帯にたどり着くってことでしょうか?
つまり最終的には愛と感謝の周波数帯だけになって、
ネガティブな感情を
感じ得ないパラレルワールドに移行するって
ことでしょうか?
だから、感情は自分の持ち物っていうより
周波数を捉えるキットであって、
ZPFの周波数帯には
そもそも感情はないってことでしょうか?
もし何か量子力学的に
見解があれば教えてください。
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以下、村松です。
「自分に対する愛情が
止まらない感じです。」
とのこと、
それはそれは素晴らしいですね!
そして
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「自分の経験する現実は
自分の周波数を映し出してるもので、
そこから自分の周波数帯に気づいて
クリーニングしていく」
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という気づきと瞬間の学びも
本当に素晴らしいことです。
まさに、
自分が出している波【Hz】で
周りのフィールドの出来事を
引き起こしているから
周りの出来事を見れば
自分が何を出しているか
わかりますよね。
例えば、
「周りから批判攻撃を受けている」
とすれば、
自分自身が
「批判攻撃をしている」。
「いやいや、私なんて全然周りへ
批判してないですよ!」
という方もいらっしゃるかもしれません。
その場合、
①ご自身に対して
②かつてのお試し
の2パターンが考えられます。
どういうことかというと
①「ご自身に対して」
というのは、
『周りに対して批判攻撃をしていなくても
自分自身に対して
批判攻撃をしていないか。』
自分がやっていないことに対して
「アァ、私ってダメだな、
ちゃんとしなきゃ。」
と批判する。
「ママなんだから
ちゃんとやらなきゃダメじゃない!」
「僕は社長なんだから
一番しっかりしないと!」
その場合、
ご自身に【攻撃】を
向けています。
それよりも、
「ママとして、
どう存在したら
パパが、子供が
喜ぶかな?」
「社長として、
どう存在したら
スタッフが、
お客様が、喜ぶかな?」
というように、
【攻撃】ではなく
【喜びの創造】
として
行動をするんですね。
それと、二つ目。
②かつてのお試し
これはどういうことかというと、
今回、攻撃を受けた時に、
『本当に
【愛・感謝】側で
存在することができますか?』
『成長した私だったら
どう【愛・感謝】で
対応しますか?』
という確認です。
そのように捉えると、
「また攻撃された、私ってまだダメなんだ。」
というループからは卒業できます。
『成長した私だったら
どう【愛・感謝】で対応しますか?』
と捉えてみてくださいね。
また、読者からの質問の
後半に入ります。
6月20日に投稿したブログ
「【自己否定】が実は【人生のツリーのオーナメント】」
https://ameblo.jp/daimular208729/entry-12385117532.html
にも掲載させていただき、そこに
近い内容ではあります。
【波】の特徴でいくと、
の図のように
いろいろな波を重ね合わせていくと
どんどん細かくなっていきます。
最終形態が
【愛・感謝】の周波数帯に至る。
以下質問者の文章です。
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つまり最終的には
愛と感謝の周波数帯だけになって、
ネガティブな感情を
感じ得ないパラレルワールドに
移行するってことでしょうか?
だから、感情は自分の持ち物っていうより
周波数を捉えるキットであって、
ZPFの周波数帯には
そもそも感情はないってことでしょうか?
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以下村松です。
『【感情】は周波数を捉えるキット』
とても素敵な概念ですね。
その捉え方はとてもいいと思います。
そして、
【ゼロポイントフィールド】側の
周波数帯には
そもそも感情はないか、というと
『ない』
と言うよりも
『畳み込んでいる』
状況です。
例えば
小学1年〜大学4年生まで
学年順になっていたとして
あくまで「例えば」ですが
小学1年生が「自己否定」
小学2年生が「罪悪感」
だったとします。
そして
大学4年生が「愛」だったとします。
大学4年生になった人は
小学1年生の内容を知らないかというと
知っていますよね。
それと、
大学4年生が
小学1年生のクラスに行けば、
意味がわかるし、対処できる。
どっぷりはハマらない。
そんな感じです。
これが
『大学4年生の中に
小学1年生も中学3年生も
畳み込んでいる』
という感じです。
そして
大学4年生が偉いわけではなく
全部の学年の子達が
皆一生懸命に生きています。
大学4年生が小学1年生の情報を
なくすわけではなく
【クリーニング】
=【昇華】
=【畳み込んで振動数を高める】
ようなイメージです。
「ネガティブ」がなくなるわけではなく
・意味がわかる
・寄り添える
・対処できる
・その感情の昇華の仕方がわかる
ような感じですね。